第1182回 ルイスの記録超えた尚弥 共通するジェントリー

facebook icon twitter icon

 1948年といえば、国連で世界人権宣言が採択された年である。第1条に「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳われている。

 この年の6月25日、ボクシングのヘビー級王者ジョー・ルイスはジョー・ウォルコットを11回KOで下し、世界戦でのKO勝利数を22とした。これはボクシングにおけるアンタッチャブルレコードのひとつと言われていた。

 

 誇らしいことに、その記録を日本人が77年ぶりに塗り替えた。日本時間の5日、世界4団体スーパーバンタム級統一王者・井上尚弥が挑戦者のWBA世界同級1位ラモン・カルデナスを8回TKOで下し、世界戦のKO勝利数を23にまで伸ばした。

 

 歴史の舞台となったラスベガスは、偶然にもルイスが息を引き取った場所である。81年4月11日、シーザーズパレスでWBC世界ヘビー級王者ラリー・ホームズ対トレバー・バービックの世界戦が行われた。ゲストとして招かれたルイスは、スタンディングオベーションによる歓迎を受けたが、翌日、帰らぬ人となった。死因は心筋梗塞だった。

 

 さてルイスが今でもベスト・フィニッシャーと呼ばれるのには、理由がある。ひとつは、その類まれなる身体的資質。187センチの長身、193センチのリーチは、当時のヘビー級としては理想的なサイズで、ゴムまりのような筋肉をしていたという。二つ目は卓抜のセンス。最大の武器はライトだが、左フックも強く、連打のメニューには必ずボディブローを入れていた。今なら当たり前だが、大男が力に任せて殴り合っていた80年から90年前のヘビー級シーンのコンビネーションとしては、実に革新的である。三つ目はキラーインスティンクト。勝負の潮目を見逃さない殺戮本能、もう少し穏やかに言えば、勝負師としての本能だ。

 

 人種差別の激しいアラバマの貧しい農家で生まれたルイスは、トレーナーのジャック・ブラックバーンから「お前にはハンデがある。黒人が白人に判定で勝てるか。KOするしかないんだ」と黒人ボクサーの掟を叩き込まれる。その一方で、マネジャーのジョン・ロックスボロウはこうも言った。「王者になるためには紳士でなければならない。絶対に相手の悪口を言うな。白人を倒した後は絶対に笑うな」。白人に対して挑発的な言動を繰り返し、身の危険に晒された黒人初の世界ヘビー級王者ジャック・ジョンソンを反面教師にしたわけである。逆に言えば、黒人が世界王者になるのは、それだけ難しかったということだ。

 

 そういえば、井上尚弥も対戦相手を挑発したり、蔑んだりしない。ルイスが何よりも大事にしたリング内外でのジェントリーを、彼からも感じ取ることができる。世界戦でのKO勝利数こそ井上に破られたルイスだが、25回の最多連続防衛記録は、今も故人が保持している。モンスターは歴史にも闘いを挑んでいる。

 

<この原稿は25年5月7日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP