第1183回 “未完の大砲”たちにも人知れぬドラマ

facebook icon twitter icon

 多くのプロ野球関係者が「飛距離は天性のもの」と口を揃える。努力にも限りがあるということか。

 ソフトバンクから巨人に移籍したリチャ―ドの打席は、見ているだけでワクワクする。ついでに言えば、ドキドキとハラハラも伴う。打球に角度さえつけば、球場のサイズはあまり関係ないようだ。18日の中日戦では、松葉貴大のスプリットを東京ドームのバックスクリーン右にねじ込んだ。

 

「リチャードがね、自分に重なって見えるんですよ」。そう語ったのは元ヤクルトの釘谷肇だ。プロ入り5年目の釘谷が“ユマの星”ともてはやされたのは1978年のことである。身長186センチ、体重86キロの偉丈夫。キャンプ地のアリゾナ州ユマで長打を連発し、「プロ野球ニュース」にも出演した。「飛距離だけならメジャーリーガークラス」と紹介された。

 

 74年に熊本の八代東高からドラフト2位で入団した。高校時代には4打席連続本塁打を記録したこともある。プロ入り2年目の75年に、日本ハムから本塁打王2度の大杉勝男がやってきた。首脳陣から言われた。「オマエ、飛距離だけなら大杉に負けてないな」。

 

 だが78年の終盤、ケガから1軍に復帰すると監督の広岡達朗から「チームバッティングに徹しない選手は使わん」と告げられた。それ以降、ミート重視の打法に改めた。代打を中心に実働8年で本塁打は8本しか打てなかったが、2割8分9厘の通算打率は悪くない。

 

「引退してからわかったことがあります。乱視だったんです。だからナイターに弱かった。外野守備のミスが打撃に影響したこともあります」。現在は故郷の熊本で少年野球の監督をしている。リチャードへの伝言は?「せっかくのチャンスをいかして欲しい。実は僕も9年目に巨人からトレードの話があった。でも流れてしまった。彼にはまだ一流になるチャンスがある」。

 

 釘谷がイースタンなら、ウエスタンにも伝説の大砲がいた。広島などでプレーした斉藤浩行だ。ファームでの最多本塁打記録(161本)は今も彼が保持している。82年に東京ガスからドラフト2位で広島に入団した。“ミスター赤ヘル”こと山本浩二に衰えの兆しが見られ、右の長距離砲として期待された。

 

 同学年ながら1年遅れで入団した西田真二の回想。「(キャンプ地の)天福球場の外野席後方に照明灯が立っていた。そこにまで軽々と飛ばしていた。外国人並みの飛距離でしたね」。

 

 だが、彼もまた「未完の大器」で終わった。2年目のキャンプでノックの打球を右目に受け眼窩底骨折、それにより視力が低下した。以来、ナイターでは「ボールが消える」恐怖にさいなまれた。

 

 それでも中日に移籍した89年には、シーズン自己最多の6本塁打を放って気を吐いた。そのうちの3本が広島戦。古巣へのせめてもの“恩返し”だった。この世界、「未完の大器」と呼ばれた男たちにも、人知れぬドラマがある。

 

<この原稿は25年5月21日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP