BCリーグでは10月1日からプレーオフが始まり、今シーズンもいよいよ大詰めを迎えています。残念ながら富山サンダーバーズは前後期ともに優勝することができず、地区チャンピオンシップに進出することはできませんでした。前期はあと一歩のところで優勝を逃し、後期は打線が“タイムリー欠乏症”にかかり、チームの防御率、打率ともに北陸地区ではトップにもかかわらず、最下位に陥ってしまったのです。
 後期の“タイムリー欠乏症”の要因は、おそらく前期、優勝がかかった最も大事な最後の3連戦を全敗してしまったことにあるのだと思います。1試合目はわずか1安打、2試合目は9安打を放ちながらタイムリーが出ずに2点どまり、そして最後も4安打に終わったのです。これがトラウマとなったのでしょう。後期に入ると、異常なほどチャンスで打てませんでした。これではいくらピッチャーが頑張っても、打率が良くても、勝つことはできません。

 今シーズンはメンバーがガラリと変わりました。ピッチャーなどは既存選手は2人と、大半が新人選手での構成でのスタート。試行錯誤しながらのチームづくりでした。前期の前半はなかなかうまく歯車がかみ合いませんでしたが、途中、「オマエたちはリーグ一弱い」と発破をかけたのが功を奏し、後半は盛り返すことができました。ところが、前述したように大事なところで勝ち星を挙げられず、石川ミリオンスターズに大どんでん返しを食らってしまいました。

 そして後期では“タイムリー欠乏症”。そこで各球団のピッチャーのレベルが上がっていく中で、どのようにして得点していくかを進藤達哉コーチと考えた末、チームバッティングを優先させることにしました。例えば、無死一、三塁、あるいは1死満塁と絶好の得点のチャンスにはタイムリーや犠牲フライを求めず、とにかく打球を強く叩きつけて、高いバウンドのゴロを打って、ランナーを返そうという指示を出しました。ところが、それさえもできなかった。つまり、私の要求と選手の実力に差が出てしまったのです。

 また後期、なかなか波に乗ることができなかった要因が石川戦にありました。石川との連戦が6回あったのですが、そのうちの5回が初戦で南和彰(神港学園高−福井工大−巨人−カルガリーバイパーズ)にやられているのです。初戦を落とすと、翌日の試合では「勝たなければいけない」と焦りが生じます。それもまた“タイムリー欠乏症”の要因の一つとなったのでしょう。

 そんな中でも、チーム一の勝ち頭となった日名田城宏(高岡西高−北陸大)は7勝5敗1分、防御率はリーグでもトップ10に入る2.11という好成績を残しました。2勝8敗、防御率6.81だった昨季と比較すれば、成長したことは明らかです。その要因はもともと武器だったスライダーに加え、縦のスライダーを覚えたことでピッチングの幅が広がったこと、そして彼の今季にかける思いの強さにあったと思います。全員が初めて集合したキャンプの初日、日名田の体は見るからにしっかりと鍛え上げられていました。実際、ピッチングをしても、すぐにでも実戦で投げられるような状態に仕上がっていたのです。今季の成績はオフでの努力の賜物以外なにものでもありません。それだけに後期ではなかなか勝つことができず、悔しい思いをしたと思います。

 最後まで選手たちの呪縛を解くことができず、チームを優勝に導くことができなかったのはすべて監督である私の責任ですから、反省点はたくさんあります。しかし、やろうとしたこと、選手に求めたことは決して間違いではなかったと、今でも後悔はしていません。なぜなら、選手が目指しているのはさらに高いところにあるNPBだからです。私が選手に求めたことは彼らの今の実力からすれば、高いものだったかもしれません。しかし、それがやれるようにならなければ、NPBへの道は開かれないのです。来季はさらなる成長に期待したいと思います。

横田久則(よこた・ひさのり)プロフィール>:富山サンダーバーズ監督
1967年9月8日、和歌山県出身。那賀高からドラフト6位で指名を受けて1986年、西武に入団した。その後、ロッテ、阪神へと移籍。02年オフに阪神から戦力外通告を受けるも、台湾の兄弟エレファンツに入団した。2年目には5勝を挙げる活躍を見せたが、肩の故障などに苦しみ、06年限りで引退を決意。07年より富山サンダーバーズのコーチに就任。2010年より2代目監督として指揮を執る。
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