第1185回 日本ボクシングとは対照的「アジアの虎」韓国の凋落
1960年代後半から70年代中盤にかけて“日本人キラー”の異名をほしいままにした韓国人ボクサーがいた。OPBF東洋太平洋の前身OBF東洋フェザー級王者のハーバート康(康春植=カン・チョンシク)だ。
彼の名前を初めて知ったのは、69年1月15日夜のスポーツニュース。東洋王者の康は、初防衛戦で挑戦者の柴田国明を6回KOで退けたのだ。
柴田といえば、後の世界2階級(WBA世界フェザー級、WBA・WBC世界スーパーフェザー級)王者。持ち前のハードパンチで康をグロッキー寸前にまで追い込みながら、接近戦で右アッパーをくらい、崩れ落ちるようにキャンバスに沈んでしまったのだ。それは小学生の私にとって、ウルトラマンがゼットンに倒されて以来の“大惨事”だった。翌日、父親が駅の売店で買ってきたスポーツ紙には「東洋の恐怖」との見出しが躍っていた。
調べてみると、康は日本人相手に15戦し、13勝1敗1分け(10KO)と圧倒的な戦績を残している。倒したビッグネームは柴田だけではない。後に世界バンタム級王者ルーベン・オリバレスと日本ボクシング史に残る死闘を展開する金沢和良(元東洋バンタム級王者)、ノンタイトルながら、世界バンタム級王者ファイティング原田相手に大健闘(12回判定負け)した斎藤勝男(元東洋フェザー級王者)からのKO勝利も含まれている。
時代は下っても、日本人ボクサーにとって韓国人ボクサーは堅牢な壁であり続けた。
日本ボクシング界にとって最大の“黒歴史”は88年1月から90年1月まで続いた世界挑戦21連続失敗。そのうち8試合の相手が韓国人ボクサーだった。内訳は張正九に1敗、金容江に2敗、柳明佑に3敗、文成吉に1敗、白仁鉄に1敗。90年2月7日、WBCミニマム級世界戦で、大橋秀行が崔漸煥に9回KO勝ちし、やっと“黒歴史”にピリオドを打ったが、その大橋も初の世界挑戦(WBC世界ライトフライ級戦)では、張正九に辛酸をなめさせられている。
野球やサッカーの国際試合で、今でも韓国国歌「愛国歌」を聞くと心が沈むのは、当時のボクシング“日韓戦”での惨めな記憶が蘇ってくるからだろう。トラウマは一朝一夕にして消えるものではない。
ところが、である。ここにきて活況を呈する日本ボクシング界とは対極をなすように、韓国ボクシング界の凋落が止まらない。世界王者は07年7月にWBCからフェザー級王座を剥奪された池仁珍が最後。実に18年間も世界王者不在が続いているのだ。
その理由として、84年9月に起きた世界戦における挑戦者“替え玉”事件に端を発する韓国ボクシング界全体の信用失墜、KBC(韓国ボクシング委員会)の内紛・分裂などがあげられるが、韓国国民がボクシングに見切りを付けたもっと本質的な理由があるのではないか。いずれにしても、かつて米リング誌が「アジアの虎」と称えたコリアン・ファイターの栄光は見る影もない。ヨソの国のこととはいえ、「ケンチャナヨ?」(大丈夫ですか?)と小声で訊いてみたくもなる。
<この原稿は25年6月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
