25日、中央競馬の1年を締めくくるレース、有馬記念が中山競馬場で開催される。オグリキャップ、ナリタブライアン、テイエムオペラオー、ディープインパクト――数多くの名馬たちが記憶に残る勝負を繰り広げてきた有馬記念は、今年も豪華絢爛なメンバーがズラリと顔を揃える。ディープインパクト以来の牡馬クラシック三冠馬オルフェーヴル、今レースがラストランとなるG?6勝の女王ブエナビスタ、史上5頭目の連覇を目指すヴィクトワールピサ、天皇賞春を制したヒルノダムール……。年の瀬の大一番を迎える前に、このレースが持つ意義を、7年前の原稿で振り返り、改めて検証しよう。
<この原稿は2005年1月号『優駿』に掲載されたものを再構成したものです>

「オッ・グッ・リッ! オッ・グッ・リッ!」
 空が割れるのではないかと心配になるほどのシュプレヒコール。17万人もの歓声と涙声が入り混じり、スタンドは地鳴りのように揺れた。“芦毛の怪物”の現役最後のウイニングラン――。ジョッキーではなく馬の名前がコールされたのは、これが最初で最後のことではなかったか。
 今や伝説となった1990年の第35回有馬記念。“芦毛の怪物”オグリキャップと“天才ジョッキー”武豊による感動のフィナーレは、多くの競馬ファンに感動を与えた。いや、競馬ファンに限らず、競馬にまったく興味のない人々の耳目をもターフに引きつけた。これまで数多くの名勝負が繰り広げてきた有馬記念のなかでも。際立って印象に深いシーンだった。

 その一方で、昨年のシンボリクリスエスの圧勝劇にも相当な衝撃を受けた。一昨年に続く有馬記念連覇。2着リンカーンに9馬身の大差をつけた。これは有馬記念史上最大着差。おまけに、91年にダイユウサクが打ち立てたレコードタイムをコンマ1秒更新した。圧倒的な力を誇示し、ターフを去る――歴史に残る名馬の引き際の美学がそこにはあった。
 あれは表彰式でのことだ。夕闇の中、スポットライトを浴びながら悠然と立ち尽くし、黒鹿毛からオーラのような水蒸気を放ち続けた。私は時間がたつのも忘れて見入ってしまった。
 時代を遡ればテンポイントとトウショウボーイの最後の対決となった77年の第22回有馬記念は、競馬史上に残る壮絶なマッチレースだった。99年のグラスワンダーとスペシャルウィークのハナ差の死闘もそうだ。わずか4センチ差の決着。競馬史に残る珠玉の名勝負が、有馬記念から数多く生まれている。

 有馬記念は極めて稀な特徴を持つレースである。
 ひとつは、その年の一番最後の月、12月に行われるということ。競馬の盛んな欧米では、だいたい大きなレースは春から秋にかけて行われているから、日本ならではのものだとも言える。「終わり良ければすべて良し」「最後に今年1年分を取り戻す」。誰だってそんな思いにかられる。
 次に、クラシックを沸かせた3歳馬と4歳以上の古馬との日本一決定戦という図式が挙げられる。欧米では、春シーズンのうちから一流3歳馬が4歳以上の古馬と対戦するのが常だが、日本ではそれがスタンダードになっていない。
 03年には皐月賞、ダービーを制したネオユニヴァースが果敢に宝塚記念に出走し、古馬の胸を借りたが、秋の3冠獲りには失敗した。宝塚に出走したことで、夏場の調整に“誤差”が生じたのだ。
 また、日本の競馬はシーズンオフがない。年間を通して開催されるため、活躍した一流馬が引退レースとして出走するケースが多いのも特徴だ。そういった馬が有馬で激走し、競馬史に残る伝説をつくりあげた。ファンが最後の雄姿をこの目で見届けようと思うのは至極もっともなことだろう。
 さらに続ければ、有馬記念が圧倒的にファンに支持される理由は、ファンが投票で出走馬を選べる、という「ファン投票」にある。世界を見渡してもそうした例はなく、日本特有の胸を張れるシステムと言える。

 言うまでもなく有馬記念は、どこか華やかさに欠ける中山競馬に東京競馬場の天皇賞やダービーに匹敵する、プロ野球のオールスターゲームのようなレースを、と当時の2代目理事長、有馬頼寧によって1956年に創設された。第1回の名称は「中山グランプリ」だったが、有馬の死後、その功績を称え第2回から「有馬記念競走」と改称された。
 ファンが主体的にレースに関わるというこの暮れのレースは、斬新で、画期的なものになった。それまでの競馬の主役は馬主、ファンは馬券を購入するしかレースに参加することはできなかった。
 しかしこのレースの出現により、これまでは能動的に競馬にかかわることのできなかったファンが表舞台に踊り出た。天皇賞やダービー、ジャパンカップを凌ぐ人気の最大の要因がここにある。

 今でも有馬記念の売り上げはひとつのレースとしては世界一である。03年中央競馬年間22のG?レースのなかでも、売り上げ516億2571万円、総参加人員361万0901人、1人当たりの購買額1万4297円とトップである。しかし、中央競馬は97年の4兆円あまりを境に、そして有馬記念は96年の875億円を頂点に、徐々に“右肩下がり”の図を描いている。一言で言えばバブルがはじけ、不況が長引き、人々に馬券を買う余裕はなくなったということだろう。
 JRA創設50周年の今年、「ゴールデンジュビリーデー」としてジャパンカップとジャパンカップダートの2つのG?レースを史上初めて同日に開催した。それに合わせて、採算度外視で数々のイベントやファンサービスを行った。
ひとつの賭けでもあったが、史上初の両G?の開催は、それにふさわしい盛り上がりを見せた。1日の売り上げは前年比112.8%の382億1490万円。入場人員も同145%の11万9632人に達した。

 すでに公営は持ち回りで同様の開催(JBCクラシック、JBCスプリント)を行い、大井で開催された第1回は39億円、入場4万8000人を記録した。“公営版有馬記念”の東京大賞典に肩を並べたのだ。盛岡で開催された第2回も、レース自体の売り上げこそ落ちたものの、看板レース・南部杯の3倍、入場も2倍を記録するなど成果は着実に表れている。
他者も挙げているかもしれないが、これを有馬記念に適用してはどうだろう。従来の有馬記念に、さらにもうひとつ新たな有馬記念を新設するのだ。
 新たな有馬記念は芝のマイル戦が適当だろう。というのも、ダートでは同時期に開催される大井の東京大賞典とバッティングしてしまう。距離もマイルにすれば、距離適性を理由に回避するファン投票上位馬も少なくなるはずだ。距離に幅ができたことで、国際競走の香港カップを目標にする馬を呼び戻すこともできるのではないか。マイル、中・長距離2つのガチンコ日本一決定戦――これを有馬記念の新たな位置付けとしたい。
 また、朝日杯FSと阪神JFの2つの2歳王者決定戦を有馬記念と同日開催するのもひとつの手だろう。同日に3つのG?レースを行うのだ。一番ファンの集まる日に、将来有望な2歳若駒の王者決定戦を開催することで注目度を高める。その走りを目にしたファンは、翌年の皐月賞やダービーの時にまた会場に足を運ぶだろう。そうなれば、有馬記念だけに興味を持っていたファンを新たに取り込むことも可能となる。こうしたシナジーを戦略に組み込むのは悪い話ではない。これまでの朝日杯FSと阪神JFのポジションには、それらのトライアル戦を組めばいい。
 伝統とはたゆまざる改革によって守り抜かれるものである。時には新たな改革も必要だ。慣例を踏襲するばかりではなく、時代の要請にあったスタイルへの脱却――ファンはそれを待っている。

 ともあれ、今年の有馬記念も間近に迫ってきた。有馬なくして年は越せないという人も多いだろうことだろう。私もそのひとりだ。有馬なくして師走を表現することはできない。
振り返れば、その時代の節目節目では地方馬の活躍が目立つ。ハイセイコーは競馬人気の火付け役として大役を果たした。冒頭に記したオグリキャップも、活躍したのはバブル経済最盛期だった。
 とかく閉塞感漂う平成ニッポン。時代は刺激に満ちた新しい物語を欲している。
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