昨年12月28日、“マムシ”の異名をとったプロゴルファーの杉原輝雄が前立腺ガンのため、死去した。74歳だった。プロ通算63勝を誇る杉原の体に、ガンが発見されたのは97年。しかし、杉原は諦めなかった。ゴルフへの影響を考慮し、手術はせず、ホルモン投与で病と闘った。加えて、過酷な筋力トレーニングで体を鍛え上げた。その結果、06年つるやオープンで最年長予選通過世界記録(68歳10カ月)を樹立、10年には中日クラウンズに参戦し、同一大会51年連続出場の世界記録を更新した。その偉業を称え、日本プロゴルフ殿堂入りも検討されているという。
 病魔と闘い続けた“マムシ”の勝負根性を、06年の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2006年11月4日号『週刊現代』に掲載されたものです>

「世界記録と言われても予選を5年ぶりに通っただけじゃないか。情けないやら、恥ずかしいやら……」
 06年4月21日。
 つるやオープン第2ラウンド。
 兵庫県・山の原ゴルフクラブ山の原コース。
 1537人の観衆が見守る中、プロゴルファー杉原輝雄は69と健闘し、通算4オーバー、146の53位で約5年ぶりに予選通過を果たした。
 この時、68歳10カ月。
 1979年にサム・スニード(米国)が打ち立てた67歳2カ月21日のツアー最年長予選通過の世界記録を1年半以上も上回るとともに、自身が樹立した63歳の国内ツアー記録も更新した。

 杉原が医師から衝撃的な宣告を受けたのは1997年12月のことだ。前立腺の検査を受けたところ、ガンが発見されたのだ。
 当然、医師は手術を勧めた。手術を受ければ6カ月後にグリーンに戻れると。
 しかし、杉原はゴルフへ影響を理由に手術を拒否し、体力負担が大きいと抗ガン剤すら受け付けようとはしなかった。受け入れた治療は女性ホルモンの投与だけ。
 杉原は語っている。
「手術をすれば、当然、筋力は落ちる。それを回復させるのは容易ではないし、そのために使うトレーニングの時間が惜しい。それでも50歳ならば1年くらい潰してもいいでしょうが、僕はもうゴルフをやめてもおかしくない年齢。時間がないんです。医者に聞くと、手術以外の方法としては女性ホルモンの投与があると。治るのではなく、あくまで抑えるだけなんですけどね」

 ガンを宣告される前、杉原は筋力を強化するため「加圧トレーニング」なるハードなトレーニングを始めていた。
 メカニズムはこうだ。腕の付け根などをバンドで縛り、静脈の血流を制限する。それにより、筋肉内に乳酸などの疲労物質が増加するのだ。その結果、脳が、自らの肉体が運動していると錯覚し、筋肉をつくる成長ホルモンの分泌を促す――。現在では格闘家なども行っている軽い負荷で多大な効果を得ることのできる画期的なトレーニングだ。
 ただし、このトレーニングは筋肉を無酸素状態に置くため、ひどく苦しい時間を耐え抜かなければならない。長野五輪ジャンプ・ラージヒル団体で金メダルを獲得した30代の岡部孝信が「表現できないほどキツイ」と口にするのだから、その過酷さは想像してあまりある。
 現在も杉原はこのトレーニングを続けている。還暦を過ぎ、ガンにまで冒されながらここまでして自らの体をいじめ抜くのは、なぜなのか。
 その答えは、杉原の苛烈なまでの勝負観に求められる。デビューから約半世紀、杉原は勝つことに情熱の全てを注いできた。

 マムシの杉原――。
 いつの頃からか男は、そう呼ばれるようになった。食らいついたら放さない。七転八倒して相手が倒れるまで戦い抜く。杉原に追い詰められたゴルファーは、ヘビならぬマムシに睨まれたカエルも同然だった。「ナニワ金融道」ならぬ「ナニワゴルフ道」とでもいうべき執念が、彼のスイングの一振り一振りに籠っていた。

 かつて男は、私にこう言った。
「言葉は悪いが、最初は日雇いみたいなものでした。プロでやる以上は並以上の生活、できればハイクラスな暮らしがしたい。家も欲しいし、いいモノも食べたい。いい服が期待し、いい嫁ハンも欲しい。そういう生活を手に入れるには、ゴルフで頑張るしかなかった。
 とにかくカネが欲しかった。好きなことしてカネが儲かる。うまくいけば、もっとたくさん儲かる。それがわかったら練習しますよ。この考えは、おそらくずっと変わらんやろうね」
 そして、こう続けた。
「私は神頼みとかはしないんです。今度は優勝できますように、なんてお祈りしたことは一度もない。もし神頼みして賞がとれるのなら毎日でもやりますがな。
 勝負ちゅうのはね、こんなものと思うようなものでも全部勝たんとアカン。将棋でも殴り合いのケンカでも全部そう。勝っておけば相手はこちらに対して苦手意識を持つ。それが一打を争う場面では必ず出てきますんや」

 杉原輝雄に引退はない。
 生涯一ゴルファー。
「諦めぐせが悪いんよ」
 69歳はこう語っている。
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