第278回「津軽海峡を渡れ!」(前編)

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「津軽」と聞いて思い浮かべる言葉は何か?

 聞くところによると、東京の人は圧倒的に「海峡」で、青森の人は「平野」というのも多いそうだ。Google先生に聞いてみると「半島」、「弁」、「三味線」も出現頻度が高く、おおよそこの5つが挙げられる。ともあれ、僕もそうだけど、青森以外の方は「海峡」という言葉と、石川さゆりの歌が頭の中に流れるという人が少なくないのでは?

 

(写真:中泊町の濱舘豊光町長<中央>と「Ojisans5」のメンバー)

 海を泳ぐ、「オープンウォータースイミング」や「海峡横断スイム」愛好者にとって、「Tsugaru」は必ず知っている世界屈指の海峡である。海峡横断遠泳チャレンジの世界最高峰「オーシャンズセブン(Oceans Seven)」にも入っており、世界屈指の難関ルートと言われており、自然環境が厳しい海峡ゆえに、皆の憧れになっている。

 

 ちなみにそのほかの6つの海峡はドーバー海峡、カタリナ海峡、クック海峡、ジブラルタル海峡、モロカイ海峡、ノース海峡。山にも「Seven Summits」という世界最高峰の山々の呼び方があるが、まさにその海峡バージョンだ。そこにチャレンジしたいという、世の中には変な趣味を持っている人が少なくない。

 

 僕もその一人として、津軽海峡を一度は泳いでみたいと考えていた。「日本人に生まれたら富士山には一度登り、津軽海峡は一度泳ぐもの」と信じて疑っていなかった。やはり人は願い、口にすることは大切で、ある青森での仕事がきっかけとなり、中泊町にご縁をいただき、このたび津軽海峡を泳ぐチャンスを得ることになった。

 

 1967年に、中島正一が初めて泳ぎ渡ってから、約60年。

 世界中から多くの方がチャレンジしてきた海峡横断であるが、近年はその注目度の高さから、サポートをする漁師さん、漁船の手配などの混乱もあり、手配が複雑で「泳ぐ条件を整えるのが難しい場所」としても知られていた。民間業者などが入り、現場も芳しい状況ではなかった。僕は海外の友人からその話を聞いていたので、せっかくの地域の観光資産を生かし、世界のスイマーの希望を叶えるべく、なんとかスムーズに運営できるよう改善策はないかと考えていた。

 

 そんな思いは、中泊町の町長もお持ちだったようで、今年から「津軽海峡交流フェスタ2025」というイベントが立ち上がった。そのなかの一つとして、僕をメンバーとした「Ojisans5」というチームで津軽海峡横断泳にチャレンジさせていただいた。

 

泳ぐだけではない使命

 今回は、ただ泳ぐだけではなく、一連の活動で、町の皆さんにも「横断泳」の魅力や大変さを伝えたい。そしてこの横断泳の起点となる中泊町は、世界から注目が集まっていることを広めていく必要があったのだ。

 

 今回のメンバーは、全員経験豊富な50代。「Oceans11」ならぬ「Ojisans 5」は日本人とハワイ在住のアメリカ人、スロバキア人による選手4人、監督1人の国際的チームとなった。泳力的には問題のないメンバーだが、とにかく低温対策が必須だった。この津軽の難しさは、海流の激しさ、複雑さと、低水温にある。普段は温かいプールで練習している僕たちも、低水温で泳げる練習場所を探すが、すでにどこも水温が上がってしまい、東京近郊での馴化トレーニングは難しかった。

 

 現地入り後、町の担当者や船長とチームメンバーでミーティング。開催予定日である翌日の海の天候について情報交換しながら、開催の是非を議論。最終的に、より条件の安定する2日後に遅らせることで決定。この海峡横断の一番の敵は天候で、海外から来ても天候で出航さえできないケースも珍しくない。そこだけは誰もコントロールすることができないし、命に関わることだけに船長と綿密な議論が重要になる。海外からの選手の場合、こうしたコミュニケーションが十分にとれず、お互いにフラストレーションが溜まってしまうシーンもあるようだ。

 

 7月7日、1日遅れの横断泳実施日。

 朝の3時半に乗船し、スタートポイントの権現崎に向かう予定だったが、まだ風が残っているとのことで1時間遅らせる。「本当に泳げるのか?」ヒヤヒヤしながらスタートポイントに。

 この時点で波があり、サポートスタッフはさっそく船酔いに。僕も胃が気持ち悪くなり、エネルギーを摂取できない状況に。陸上と違い、船の上では条件が全く異なり前途多難。でも何と言ってもスタートに立てたという安堵感もあった。

 

 とにかく、ここから40km、10時間の長旅が始まる……。

 

(後編に続く)

 

◆想定コース

青森県中泊町 小泊権現崎 → 北海道福島町沿岸  ※約40km

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール>

 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17~25年まで東京都議会議員を務めた。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)

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