行司目線で語る大相撲の歴史と伝統、そして面白さ ~第34代木村庄之助・伊藤勝治氏インタビュー~
行司の最高位の名跡で長い歴史と伝統を誇る「木村庄之助」。その34代目として活躍した伊藤勝治さんに、当HP編集長・二宮清純が「国技」である大相撲の舞台裏について聞く。

二宮清純: 大の里の横綱昇進など若手力士の活躍もあって、再び相撲人気が高まっています。インバウンド(訪日外国人旅行)でも人気のイベントとなっていて、10月には34年ぶりの英・ロンドン公演が行われます。伊藤さんも海外公演に参加されたことがありますが、土俵作りなどは大変でしょうね。
伊藤勝治: 近年の土俵づくりは、すべて埼玉県川越市の河川敷で取れる「荒木田土」という粘土質の土が使われています。ただ、海外に土を持って行くわけにはいかないので、昔の海外公演では親方が「呼出」を現地に連れて行き、土を調べさせ、ふさわしい土を確保していました。
二宮: そもそも土俵は誰がつくるのでしょうか。
伊藤: 呼出です。本場所6回と巡業の土俵をつくるのに加え、各部屋の土俵も場所ごとに力士と一緒につくり直しているので、年間でかなりの数の土俵をつくっています。
二宮: 土俵づくりのうまい下手はありますか。
伊藤: ありますね。腕のいい呼出は、水を少ししか使わない。というのも、水を含ませすぎると日がたつに連れて土が締まってきて、ひび割れを起こしてしまうのです。
二宮: そうなんですね。呼出の仕事にスポットが当たることはなかなかない。実は大事な役割を担っているんですね。
伊藤: 呼出は、土俵の内外で大相撲の運営を支える重要な職人です。土俵の整備や俵の修繕、土俵の清掃や砂のならし。それから、取組直前に土俵の上で力士の四股名を呼ぶ「呼び上げ」、場所の始まりや終わりに太鼓を打って観客に知らせる「寄せ太鼓」や「はね太鼓」なども彼らの仕事です。
二宮: 呼出がそこまでやっているとは知りませんでした。では、行司の仕事は勝ち負けの判定以外にどんなものがあるのでしょう?
伊藤: これも多岐にわたります。日々の取組の勝敗記録を付けたり、場内アナウンスをしたり……。また所属する部屋では、冠婚葬祭の手配をしたりしています。
二宮: 一種のマネジャーですね。ちなみに、番付表は誰が書くのでしょうか。
伊藤: これも行司の仕事です。今は2代目木村要之助を中心に作成していますね。
二宮: 間違ったら書き直すのは大変でしょう。
伊藤: 番付は力士にとって命ともいえるものです。ゆえに間違いは許されないので、読み合わせをしながら書くのですが、どうしても間違ってしまうことはある。その時は全部を直すのではなく、間違ったブロックだけを書き直して貼り付けるんです。今は写真製版なので、大きな問題はありません。
二宮: 独特のフォントの相撲字を皆さん上手に書きますが、あれは教習所のようなところで教わるのでしょうか。
伊藤: いえ、教科書も何もないので自分で勉強するんです。私も若い頃はずいぶんと書きました。練習中に先輩が入ってきて、「お前が字を書くなんて3年早いよ」とよく小突かれたものです(苦笑)。番付の話のついでですが、5月場所で小結の髙安は負け越しました。それなのに7月場所で番付が落ちなかった。疑問に思いませんか⁉
二宮: 確かに6勝9敗ですし、通常なら三役陥落でしょう。
伊藤: 「三役揃い踏み」という言葉を聞いたことがあると思いますが、やはり大相撲では三役が大事なんです。もともと横綱という地位はなく、大関が最高位でした。それくらい三役には伝統と格式がある。7月場所は、もし高安が陥落してしまうと西の小結がいなくなってしまう状態でした。こうした点も考慮されての番付だったのでしょう。同じ7月場所の番付で横綱の大の里が西の大関を兼任しているのも、同じような理由からです。
二宮: 伊藤さんは愛知県名古屋市のご出身。小学4年の時に東京に来て、中学1年で入門されました。中学から相撲の世界に入るのは大変なことだと思います。当時はどんな生活だったのですか。
伊藤: 国技館に近い両国中学(東京都墨田区)に通っていましたが、場所中は学校を休んでいました。
二宮: えっ!? 義務教育なのに学校側は何も言わないのですか。
伊藤: 今は絶対だめですが、当時は「相撲なら仕方ない」という空気がありました。何事も相撲優先でしたね。
二宮: 行司は序ノ口格行司から始まって、幕下、十両、幕内、三役、式守伊之助、そして木村庄之助と昇進していきます。昇進で一番うれしかったのは、どのあたりですか。
伊藤: 十両に上がった時ですね。行司も力士と同様に十両に上がると待遇が大きく変わります。食事も部屋の若い衆が給仕してくれて、親方衆や関取と一緒に食べられるようになる。装束も変わって足袋を履くようになります。でも本当は、裸足のほうが、土俵の感覚がよく分かるので、ずっとラクなんです。
二宮: 行司は装束もさることながら、その所作にも独特の様式美がありますよね。特に軍配の使い方について、仕来りなどはありますか。
伊藤: 軍配には房が付いていますが、その色は行司の位階によって違いがあり、木村庄之助は総紫です。結びの一番で四股名を呼び上げする時にこの房をパッと下ろすのですが、軍配から房までの長さが重要なんです。房が土俵から離れていてはダメですが、長すぎるとだらしない。長さを調節して、ちょうど房が砂の上を擦っていくようにするのがよいとされています。
(詳しいインタビューは8月1日発売の『第三文明』2025年9月号をぜひご覧ください)

<伊藤勝治(いとう・かつはる)プロフィール>
1943年4月21日、愛知県名古屋市出身。小学4年から東京都江戸川区で育つ。両国中学校(東京都墨田区)1年の56年5月場所、式守勝春の名で初土俵。師匠は木村筆之助。幕内格時代まで場内アナウンスを長らく担当。2005年9月場所に三役格になったのち、史上最短の4場所で36代式守伊之助を襲名(06年5月場所)。07年5月場所から34代木村庄之助を襲名。08年3月場所後に65歳となり、停年退職。現在は相撲文化の普及に尽力し、講演や執筆活動を行っている。監修書籍に『大相撲の解剖図巻』(エクスナレッジ)など。