釜本邦茂さん逝去 不世出のストライカーの矜持 ~二宮清純特別寄稿~

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 不世出のストライカーでありながら、釜本邦茂さんは「天才」と呼ばれることを誰よりも嫌った。「確かに親からもらったものが優れていたかもしれない。しかし僕が人の見ていないところで、どれだけ努力していたかを知っている人は少ないでしょう」。サッカー教室では、少年たちを前にこう言った。「家に帰ってシャワーを浴びる前の10分間でいい。腹筋、腕立て、スクワット。何でもいいから、他の人が遊んでいるときにやりなさい」

 

 釜本さんのサッカー観は単純明快だった。「点を取るべき人が取れば勝てる。取るべき人が取らないと負ける」。ある代表戦で「点を取るべき人」が、ゴール前でシュートをふかし、それが敗因としてクローズアップされた。日本代表の決定力不足が指摘されていた頃だ。試合後、釜本さんに水を向けると、一言で切って捨てた。「腹筋の鍛え方が足りんのよ」

 

 キャリアのハイライトは日本を銅メダルに導いた68年メキシコ五輪。7得点で大会得点王に輝いた。師であるデットマール・クラマーから、こう叩き込まれた。「ストライカーはハンターだ。狙った獲物は一発で仕留めろ!」。手本にしたのは“黒豹“と呼ばれたポルトガルのエウゼビオ。「あれはドイツにサッカー留学した時かな。図書館で66年イングランドW杯で得点になった彼のフィルムを見て、徹底的にプレースタイルを研究した。やっていることは非常にシンプル。ボールを受け、ディフェンスをかわしシュート。ただ、それだけ。余計なことはやらない。これだ、と思ったね」

 

 メキシコ五輪前後、欧州の複数のクラブから誘いがあった。だが五輪の翌年、ウイルス性肝炎に罹り破談に。病魔に襲われなかったら、釜本さんは、私たちを見たことのない景色の中にいざなってくれていたかもしれない。

 古い取材ノートを読み返しながら、追悼文を書いている。愚問を承知で、本人にこう問うたことがある。「生まれてくるのがあと20年、いや15年遅かったら‥ 。そんなことを考えたことはありますか?」。93年のJリーグ誕生を機に、サッカーは一気にメジャースポーツの仲間入りを果たした。釜本さんは「それはないね」と言下に否定し、続けた。「僕は登録こそずっとアマチュアやったけど、精神的にはプロフェッショナルな気持ちで戦ってきた。本物のプロフェッショナルは、技術的にも精神的にもアマの範とされる。それが本当の意味でのエリートやと思うんです」

 

 釜本さんの崇高なスポーツマンシップは、国会議員になってからも発揮された。日韓両国議員による“サッカー日韓戦“。あまりにも釜本さんが点を取りすぎるという理由で、韓国の議員から「シュート禁止」という理不尽な要求が突きつけられた。それでも不平を口にせずアシストでチームに貢献した。アンフェアなルールは後年解消されたが、釜本さんは「歴史教科書問題で揺れていた両国の議員を近づける効果はあったと思う」と語っていた。長嶋茂雄さんに続いて、また一つスポーツ界の巨星が堕ちた。合掌

 

<この原稿は25年8月11日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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