オフの補強もほぼ終了し、いよいよ20日に新チームが集合します。本格始動は2月1日からの予定です。補強などチーム編成の仕事に携わるのは今回が初めて。12人の選手をドラフトで獲得しましたが、狙っていた人材を指名できなかったケースもあり、難しさを実感しました。
 トレードを含め、愛媛は昨季のメンバーから16名が抜けるかたちになります。2月のキャンプでは新しいチームを1からつくることになるでしょう。そのなかでエース、レギュラーキャッチャー、4番という3本の軸をチーム内で見つけたいと考えています。

 エースには昨季、2ケタ勝利(10勝)をあげた古舘数豊と、入野貴大が候補になるでしょう。古舘は変化球でストライクがとれ、セットポジションで投げる際にバッターがタイミングをとりにくい点が強みです。しかし、まだ本人はこの持ち味を十分に理解して投げているとは言えません。長所に磨きをかけたピッチングができれば、今年以上に勝てるピッチャーになると思います。

 入野は昨季、リリーフでNPB相手にもいいピッチングを見せており、ドラフト指名まで、もう一歩のところまできています。残る課題は明白です。変則フォームをより活かすべく、球の出どころをいかに隠すか。このハードルをクリアすれば、NPBのスカウトも獲得に乗り出すはずです。本人にも改善ポイントは伝えていますから、1年間、どれだけ本気で取り組むかで来年の所属チームが変わってくるでしょう。

 またファンのなかには篠原慎平の復帰を期待している方もいらっしゃると思います。肩を故障して昨季は登板なし。ただ、リハビリは順調に来ています。本人もさすがに今季はラストシーズンのつもりで臨むはずです。まだ無理はさせられませんから、少しずつ状態を上げるように指導し、完全復活を待ちたいと思っています。

 4番に関しては今季から米独立リーグより外国人が加入するため、その選手がうまく適応できれば、中軸を任せることになるでしょう。今季は何とか4番を固定し、昨季以上にクリーンアップにつなぐ野球を徹底したいと思っています。打線の切り込み隊長には、高知から流大輔をトレードで獲得しました。彼はNPBを目指せる素材だと僕はみています。俊足をいかし、ドラフト指名を受けられる選手に伸ばしていきたいですね。

 新人に関しては即戦力という観点のみならず、2年後にNPBを狙える選手かどうか基準に指名をしました。台湾出身の 内野手、呉念庭(岡山共生高)はまさに将来性豊かな18歳です。走攻守3拍子が揃っており、性格も非常に素直。彼は大きく化ける要素があるとみています。また今回の新人では最年長(27歳)となる井上貴信(北陵高−久留米工業大−佐賀スピリッツ)にも伸びしろを感じました。まずブルペンの立ち姿がいい。そして実際のピッチングもインコースにいいボールを投げられます。実はトライアウトでは選手たちのアップの様子などもチェックしていましたが、彼はいい準備をしてテストに臨んでいました。近年は野球選手の寿命が伸び、30歳以降に開花するケースも出てきています。年齢など気にせず、NPBを本気で目指せるかがポイントになるでしょう。

 昨年の監督就任を機に家族とともに愛媛へ引っ越したため、このオフは残留する選手たちのトレーニングをずっと見ていました。また昨季同様、僕をサポートしてくれる吉岡雄二コーチ、萩原淳コーチとも連携をとり、地元に帰った選手たちの状態も把握しています。すべてが手探りだった昨季とは違い、今季はスムーズにスタートが切れそうです。

 キャンプではNPBの練習を乗り切れる体力づくりをテーマに、まずはフィジカル強化を実施し、基礎から積み上げていく予定です。そして、前回のコラムで紹介したように各自が「野球の専門家」となれるよう、プロとして高いレベルを追求していきたいと考えています。

 昨季、徳島が年間優勝を果たしたことで、愛媛は四国の4チームで唯一、頂点を経験していない球団になってしまいました。「今季こそ優勝を!」。県民の皆さんの思いはヒシヒシと伝わってきます。先述したようにキャンプで基礎を固めた上でオープン戦を通じてチームとしての方向性を決め、シーズンにいいかたちで突入する。これが今、思い描いているプランです。

 勝つことで選手は成長しますし、選手が成長すれば試合にも勝てます。育成と勝利は矛盾しません。2012年は、この二兎を追って1年間、頑張ります。愛媛の皆さんも、ひとりでも多く球場に足を運んでいただけるとうれしいです。


星野おさむ(ほしの・おさむ)プロフィール>:愛媛マンダリンパイレーツ監督
 1970年5月4日、埼玉県出身。埼玉県立福岡高を経て、89年にドラフト外で阪神に入団。内野のユーティリティープレーヤーとして、93年に1軍デビューを果たすと、97年には117試合に出場。翌年には開幕スタメンで起用される。02年にテストを経て近鉄へ。04年に近鉄球団が合併で消滅する際には、本拠地最終戦でサヨナラ打を放つ。05年に分配ドラフトで楽天に移籍し、同年限りで引退。06年からは2軍守備走塁コーチ、2軍打撃コーチなどを務めた。11年より愛媛の監督に就任。
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