突っ張り一筋に(錣山親方)

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 記録にも記憶にも残る力士がいる。軽量ながら、小気味のいい突っ張りで土俵を沸かせた元関脇・寺尾だ。最強の力士は? そして生涯最高の一番は?

 

<この原稿は2022年11月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 花のサンパチ組――。昭和38(1963)年生まれの力士からは双羽黒、北勝海(現年寄八角・日本相撲協会理事長)と2人の横綱が誕生している。ハワイ生まれではあるが、元大関の小錦もサンパチ組のひとりだ。

 

 しかし、こと人気面において、元関脇・寺尾(現錣山親方)の右に出る者はいなかった。筋肉質の肉体に、キリッとした精悍なマスク。気風のいい取り口は多くの好角家を魅了した。

 

 その寺尾が、敗れた後、帰りの花道で、珍しく感情を露わにしたことがある。自らの下がりとタオルを通路にバサッと叩きつけたのだ。こんなに悔しがる寺尾を見るのは初めてだった。

 

「あの日は悔しくて風呂も入らずに帰りました。その後、連敗した。もう何もする気がなくなって。そうしたら、師匠に思いっきりぶん殴られました。“次勝てばいいだろう”って。それでハッと目が覚めたんです」

 

 平成3(1991)年3月20日、春場所11日目で小結・寺尾は前頭13枚目の貴花田(後の横綱・貴乃花)と対戦した。初顔合わせだ。貴花田は初日から10連勝を飾っていた。

 

「僕と貴乃花さんって、学年がちょうど10個違うんです。高校に行っていれば、彼は3年生ですよ。ちょうど全勝で来ていたので、“勝ったらオレが(スポーツ紙の)1面だろう!”くらいの気持ちでした。負けるなんて、これっぽっちも思っていなかった」

 

 立ち合いと同時に寺尾はもろ手突きで貴乃花の体を起こし、回転の速い突っ張りで貴乃花を攻め立てる。

 

 しかし、貴乃花も負けてはいない。上体を反らせながらも突き押しで応戦し、土俵際でクルリと体を反転させると、勢いのままに寺尾を押し出したのだ。

 

 再び寺尾。

「もろ手で突いた瞬間、“これはモノが違うな”とすぐにわかりました。“今日勝たないと、この後、ずっと勝てないかもしれない”って……」

 

 初顔合わせ、しかも最初のひと突きで相手の実力がわかるものなのか。

「わかりますね。普通、体の柔らかい人間って、力の弱いイメージがあるでしょう。ところが貴乃花さんの場合、グニャグニャしているのに力が強い。僕がまわしを切りにいって切れなかったのは、後にも先にも貴乃花さんと(横綱の)千代の富士さんだけですよ」

 

 横綱・千代の富士とは17回対戦し、1回しか勝つことができなかった。しかし、その1回が名勝負だった。

 

 平成元(1989)年1月16日、初場所中日、前頭筆頭の寺尾は、ここまで7戦全勝の千代の富士と対戦した。横綱は、この場所に5場所連続優勝がかかっていた。

 

 どんな相手にも、寺尾は真っ向勝負を挑み、決してひるまない。それが人気の秘密だった。

 

 この日も、得意のもろ手突きを突破口にして、連射砲のような突っ張りを2ダースほど叩き込んだ。

 

 だが、千代の富士の胸板は、まるで鋼鉄の盾である。胸を合わせ、がっちりと左上手を取る。さらには土俵際まで寄っていって、仕上げとばかりに力任せに寺尾の首根っこを抑えにかかった。

 

 こうなれば寺尾に勝ち目はない。場内に悲鳴が走った、まさにその瞬間だった。寺尾が咄嗟に右足を飛ばすと、左の足首を刈られた千代の富士はバランスを崩し、腰から土俵に落ちた。乾坤一擲の外掛けだった。

 

 千代の富士は歴代3位となる幕内最高優勝31回を誇る大横綱である。平成元(1989)年夏場所7日目から、翌年11月場所千秋楽にかけて、歴代3位の53連勝を記録している。ハードな筋トレによってつくり上げた筋骨隆々の肉体は、まるで仁王像のようだった。

 

 その千代の富士に対し、「とにかく稽古場で強かった印象がある」と寺尾は語り、続けた。

 

「巡業では、たまに1対1でやるんですが、こっちはもうグチャグチャになっているのに、千代の富士さんは汗すらかいていない。“こんな人いるんだ”ともうびっくりしました。

 貴乃花さんが柔なら、千代の富士さんは剛。最強は? と問われたら、やはり千代の富士さんでしょうね」

 

 寺尾は相撲一家の出身だ。父の鶴ヶ嶺は先々代の井筒親方。兄は鶴嶺山(元十両)と逆鉾(元関脇・15代目井筒親方)。本人にその意識はなくても、まわりからはエリートに映る。同期の力士から目の仇にされたこともあった。

 

「益荒雄(元関脇)に言われたことがあります。“オマエはサラブレッド、オレは雑草だ”って。稽古中、いきなり殴りかかってきましたもん。“オマエには負けんぞ”と。自分から突っ張ると、相手も張り返してくる。そのうち拳で殴ってきたり。そんなこともありましたよ」

 

 2人は互いに火花を散らしながら、番付を上げていったのである。

 

 幕内通算626勝(歴代18位)。“土俵の鉄人”と呼ばれた寺尾に「生涯最高の一番は?」と問うと、平成6(1994)年の夏場所で、大関・貴ノ花に土を付けた一番をあげた。この場所、14勝1敗で貴ノ花は5回目の優勝を飾っているが、唯一の黒星の相手が寺尾だった。

 

「あの時は負けない、というより“今日のオレは誰も止められないだろう”というくらい神がかっていた。あの相撲こそは自分の突っ張りの集大成でした」

 

 決まり手は押し倒し。寺尾の記憶のミュージアムには、この一番が額縁入りで飾られている。

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