蹴球のマエストロ(風間八宏)

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 Jリーグのリーディングクラブである川崎フロンターレの土台を築いた男はロマンチストにしてリアリストだ。「伝える力」を武器に選手を育成し、ピッチに新風を吹き込む。

 

<この原稿は2022年10月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「伝える」と「伝わる」は違う――。

 

 昔、こう語ったスポーツ指導者がいる。

 

 女子マラソンの名伯楽と呼ばれた小出義雄だ。

 

 1992年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子、00年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子らを育て上げたことで知られる。

 

「いくら、必死になって伝えたところで相手に伝わっていなければ意味がない。きちんと伝わっているか、相手は理解しているか。それを確認することなく、先に進んではならない」

 

 千里の道も一歩から、というわけである。そのためには自らの思考をあらかじめ整理し、言語化しておく必要がある。指導者が言葉を磨くのは、ある意味、料理人が日々、包丁を研ぐ作業に似ている。

 

 17年以降、リーグ優勝4回、カップ戦と天皇杯を1度ずつ制するなどJリーグのリーディングクラブに成長した川崎フロンターレ。「うまいは強い」をモットーに、クラブの土台を築き上げたのが『伝わる技術』(講談社現代新書)という著書を持つ風間八宏である。

 

 川崎Fは、森保ジャパンにも多くの選手を送り込んでいる。3月24日、カタールW杯出場を決めたシドニーでの豪州戦、先制点はDF山根視来(川崎F)、MF守田英正(スポルティング)、MF三笘薫(ブライトン)の流れるようなパスワークから生まれた。川崎F時代に培ったコンビネーションが生きたのである。

 

 風間の指導により、生まれ変わった選手がいる。“ミスター・フロンターレ”と呼ばれた中村憲剛だ。

 

 どんな指導を受けたのか。

 

「たとえばトラップ。それまでは1、2、3くらいで前を向いていたのですが、“1で向け!”と。体の構え方や足首の角度など、ちょっとしたことで、それが可能になるんです。“そうすることで世界が変わるんだぞ”とも。その通りでした」

 

 風間のアドバイスは具体的かつシンプルだ。言葉に無駄がない。

 

 たとえば、ボールを止める技術。風間は小学生にトラップを教える時、「音がしないように止めてみな」と言う。音を消すには、ボールと足の接地面積を小さくしなければならない。できる限り「点」での接地が望ましい。ボールの柄が見えれば合格だ。トラップの技術が上達すれば、スムーズにボールを運ぶことができる。こうしたキメの細かい技術に「うまいは強い」のエキスが凝縮されている。

 

 続いて「ボールを取られるな」。当たり前の話だが、ボールをずっと保持していれば、点を取られることはない。ボールが相手に渡らない限りはリオネル・メッシ(パリサンジェルマン)だろうが、クリスティアーノ・ロナウド(マンチェスターユナイテッド)だろうが恐れることはない。

 

 風間は言う。

「日本ではボールを奪うと褒められるのに、失っても、あまり批判されない。順序が違うのではないか」

 

 ではボールの価値をどう伝えるのか。

「僕は子どもたちに“このボールが100万円だったら、どうする?”と聞きます。“こうやって持ちます”とボールをすぐに抱え込んでしまいます。“そんなに大事なものを、なぜ簡単に取られるんだ?”って教えてやれば、次からそう簡単には取られなくなりますよ」

 

 守ってばかりではサッカーは楽しくない。自在にボールを操り、頭で描いたイメージをピッチ上で具現化し、勝利する――。そのためには、うまくなければならない。うまくなければ強くなれないし、楽しむこともできない。それが風間のフィロソフィーだ。

 

 だがら、彼はこう言うのだ。

「オレはすべてのチームに5対0で勝てると思っている。たとえバルセロナが相手であっても」

 

 これまで、この国では“弱者の戦術”がもてはやされる傾向が強かった。相撲で言えばけたぐりや猫だまし。確かに最初は相手も面くらうかもしれない。しかし2度目は通用しない。百歩譲って体重差のある相撲なら、奇策も理解できる。だがサッカーは11人対11人。やり方次第で、どのチームも、どの国も「王様」になれる、と風間は考えている。

 

「カタールW杯で日本はドイツやスペインと対戦します。ドイツをどう抑え込むか、スペイン相手に、どう守るか。そんなことばかり考えていたら、いつまでたっても勝てません。

 大事なのは、彼らを王様でなくすること。たとえば(陣形の横幅を)50メートルから40メートルくらいにしてやってみる。その中に彼らを巻き込んだら、日本人には勝てないでしょう。狭さというのは時間なんです。そして時間とは正確性。それを連続してやれば、十分、日本がピッチを支配することができる。

 クラブにしても、そうです。確かにバルセロナは強いかもしれない。でも守ってカウンターばかりで勝てるわけがない。王様である彼らは、そうした戦い方に慣れている。要は相手の姿を変えないといけないんです。こちらが主導権を握り、こちらが王様になる。そして王様で居続ける。結局、うまくなることが強くなることの近道なんです」

 

 以下は、風間がドイツでプレーしていた頃の話。歯科で、ドイツ人は歯科医に平然とこう注文するというのだ。

 

「痛くなく、治してくれ」

 

 翻って日本人の多くは、治療には我慢が必要だと考える。スポーツに置き換えると「何かを達成するためには、何かを犠牲にする必要がある」

 

 果たして、そうか。犠牲すなわち快楽の放棄は、王座への挑戦を断念したことに他ならなず、主従関係の固定化をも意味する。スポーツの醍醐味は、もはやそこにはない。風間の挑戦は、スポーツの本質を取り戻すための闘いでもある。

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