獅子王国の仕事人(平野謙)

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 V9巨人に匹敵する実力を誇った黄金期の西武。地味ながら、プロフェッショナルな仕事ぶりで玄人筋をうならせた選手がいる。移籍した88年から犠打数は5年連続リーグトップ。その5年間で西武は4度の日本一を達成した。

 

<この原稿は2022年9月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 1980年代から90年代前半にかけての西武ライオンズの強さは、65年から74年にかけて9年連続日本一に輝いた巨人に匹敵するものだった。82、83、86、87、88、90、91、92年と8度の日本一を達成している。

 

 中日ドラゴンズで盗塁王(86年)、ゴールデングラブ賞(82、85、86年)などを獲得していた外野手の平野謙が投手の小野和幸とのトレードで西武に移籍したのは87年のオフのことである。

 

「87年はちょうど僕の10年目で、星野(仙一)さんの監督1年目。星野さんは晩年、それほど熱心に練習をしていなかったのに、若い選手には“走れ、走れ”と言うものだから、少し反感を抱いていた。ミーティング中に帰ったこともあったよね」

 

 トレードの予感はあった。

 

「名古屋での最終戦、藤波行雄さんのヒットでホームに還ってきた。その時、コーチの木俣達彦さんに“とりあえず、いい終わり方ができたな”と言われたんです。“いい終わり方? ああ、これは本当にトレードされるんだな”って……」

 

 地元・愛知県犬山市の出身。78年にドラフト外で入団し、中日で10年間プレーした平野には、「地元のチームに入って、レギュラーを獲り、このままドラゴンズで終わるのかなァ」という漠然とした思いがあった。

 

 それだけにトレードに対し、複雑な思いがないわけではなかったが、一方で「勝つチーム、強いチームって、どうなんだろう?」という好奇心もあった。

 

 トレード前の西武は85年からリーグ3連覇、そして86、87年と日本シリーズ2連覇。自他ともに認めるプロ野球最強のチームだった。

 

「練習からして違っていましたね」

 

 そう前置きして、平野は語る。

 

「ドラゴンズでは“30(歳)超えたらダッシュは半分でいいよ”みたいなことがまかり通っていた。ところがライオンズではトレーニングコーチに“今日のダッシュは50本、50本、50本”と言われたら、僕よりベテランの選手でもボンボン走っていく。誰も文句なんて言わない。

 1年目、僕はコーチに“おい平野、無理するなよ”と言われた。要するにできない、と思っているわけですよ。もう腹立っちゃってね。足はパンパンだったけど最後までやり切りました」

 

 また、こんなこともあった。

 

「試合中、無死二塁で三遊間が空いていたので狙い打った。これで一、三塁ですよ。ドラゴンズなら“ナイスバッティング!”と褒められるのに、ライオンズは違った。ベンチに帰って言われました。“ここはヒットはいらない。アウトになってもいいから(一、二塁間に)引っ張ってくれ!”って。“強いチームは、こうも違うのか”と納得しました」

 

 移籍1年目の88年、平野は主に2番ライトでフル出場を果たし、自身初のベストナインに選出された。3割3厘の好打率に加え、リーグトップの41犠打。リーグ4連覇に貢献した。

 

 日本シリーズの相手は古巣の中日。平野の気持ちは「複雑」だった。

 

「僕は自分の仕事をしっかりしてライオンズの優勝に貢献できた。それは、うれしい。しかし、僕の抜けた中日も優勝している。シリーズの印象? ちょっと力んでしまったかな……」

 

 4勝1敗で西武に軍配が上がったものの、本人によると「記憶に残るような活躍はしていない」。ただし、と言葉を切り、平野は言った。

 

「ナゴヤ球場のファンはやさしかったね。僕はライトだから、スタンドのファンからヤジられると思った。でも、キツいのはひとつもなかった。逆に“頑張れよ”と言われたからね」

 

 むしろ記憶に残るのは巨人を4タテ(4連勝)した90年の日本シリーズだ。巨人の岡崎郁をして「野球観が変わった」と言わしめた。

 

 東京ドームでの初戦、巨人の先発・槇原寛己から、初回いきなり5番のオレステス・デストラーデがライトスタンドに3ランを叩き込んだ。二塁打を放って出塁した先頭打者の辻発彦を犠牲バントで三塁に送ったのが平野である。チームプレーに徹した地味な仕事が、導火線の役割を果たしたのである。5対0で完勝。

 

 2戦目も同じような展開をたどった。初回、ヒットで出塁した辻を平野は犠牲バントで二塁に進めた。初戦同様、4番の清原和博が四球でつなぎ、デストラーデの2点二塁打が飛び出した。

 

 清原については、こんな思い出がある。

 

「ちょうど自分のロッカーの近くに大きな柱があって、反対側に清原のロッカーがあった。挨拶がなかったので、“オイ、今日はキヨいるのか?”と。先輩後輩の礼儀は大切です。この前、たまたま清原に会ったら、“謙さんに色々言ってもらえて良かったです”と殊勝に語っていましたよ」

 

 この試合、西武は3回までに7点を奪い、9対5で打撃戦を制した。

 

 西武球場での3戦目も、西武打線は初回に爆発した。先頭の辻に続き、平野もヒットで出塁、清原が四球でつなぐ。ここでデストラーデの2点二塁打が飛び出した。ビデオテープを繰り返し見ているような錯覚にとらわれたものだ。7対0で西武が完封勝ちを収めた。

 

 王手をかけた4戦目、平野は二塁打2本を含め3安打と大暴れし、7対3の勝利に貢献した。

 

 このシリーズ、平野の打率は5割。犠牲バントは4つも決めている。おいしいところこそデストラーデに全て持っていかれたが“陰のMVP”と呼んでも過言ではない仕事ぶりだった。

 

 ところが、3人が選ばれる優秀選手賞に彼の名前はなかった。

 

「一瞬アレっと思ったけど、それだけ活躍した人間が多かったということだよ。僕は自分の仕事をしただけだから」

 

 人気時代劇の「必殺仕事人」で言えば、“三味線屋の勇次”か。クールな仕事ぶりにプロの誇りがにじんでいた。

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