5月2日(水)から7日(月)の間、「愛媛ゴール裏net」が主催する「東日本大震災復興支援・東日本応援ツアー」に参加した。 
 私たち愛媛FCサポーターが集う愛媛ゴール裏netでは、5月3日(第12節、対山形戦)と6日(第13節、対千葉戦、いずれもアウェー)に向けて、6日間にわたる応援バスツアー企画を立案した。そして、その試合の中日となる4日と5日を利用して、東日本大震災の被災地である宮城県の南三陸町や牡鹿半島へ移動し、ツアー参加者の愛媛FCサポーターが、がれきの除去や清掃作業などの復興ボランティア活動を行うことになったのである。
(写真:牡鹿半島(はまぐり浜)での植樹作業とがれき除去)
 5月2日の夕方、「オ〜レくん」をはじめとするチームマスコットが描かれたオレンジ色のラッピングバスに乗り込み、愛媛を出発。途中、高速道路の大渋滞につかまるなど予定よりも大幅に時間を費やしながらも、松山を出てから約20時間後の3日昼過ぎ、やっとモンテディオ山形戦の試合会場、NDソフトスタジアム山形に到着した。
 
 降雨の中、皆で愛媛FCの選手たちを応援した後、宿泊地となる宮城県仙台市の旅館へと移動。その夜、「みやぎ愛媛県人会」の方々が、私たちの宿舎を訪れてくださり、震災の状況について、写真などの資料を拝見しながら貴重なお話を拝聴した。
 
 5月4日の朝、旅館を出発し、石巻市へと移動。約1900世帯の仮設住宅でできた街を見学させていただいた。その街にある制度外ケア付き仮設住宅「あがらいん」では、復興に向けた人々の営みや支援者の皆さんのお話を伺うことができた。
 
 その後、南三陸町へと向かい、津波による大きな被害を受けた町並みや、震災の象徴的な場所となっている南三陸町防災センター跡など、今もなお爪痕が色濃く残る悲惨な状況を目の当たりにした。また、海岸線には行き場を失った「がれき」が山のように高く幾重にも積み上げられおり、その巨大さには本当に驚かされた。
 
 そこから、またバスに乗り込み、牡鹿半島の鮎川浜へと移動。同地区で開催されている
牡鹿半島の復興祭「牡鹿さ、ござい〜ん」をサポーター皆で楽しんだ。露店では地域の特産品を味わえたし、お祭りを通じて、地域の人々とのふれあいや牡鹿半島でボランティアを続けている人々との交流も楽しめた。

 その復興祭では、驚きの出会いもあった。サッカー日本代表の応援でも御馴染みの「ちょんまげ隊(ちょんまげのカツラを被り、青色の甲冑姿で日本代表を応援しているサポーター集団)」が、被災地での支援活動の一環として復興祭運営のサポートを行っていたのである。愛媛FCサポーターの突然の訪問に向こうも同様に驚きの表情をされていた。同会場には、同じく支援活動をされている川崎フロンターレのサポーターなどもおり、“こんな所でお会いできるとは、何とも不思議な縁だな……”と驚愕しつつ、“サッカーの力って本当に凄い!!”と感慨に浸っていたのである。
 
 その晩は、女川温泉の旅館に宿泊。5月5日の朝、再度、鮎川浜の復興祭会場へと移動。楽しませていただいたお祭りの後片付けをサポーターたちがお手伝いした。
 お昼からは、牡鹿半島のはまぐり浜へ移動し、被災されながらもその地を離れず、漁業を営むご家族のために、がれき除去や植樹の作業、また鹿よけの防護ネット設置などを皆で行い、汗を流した。
(写真:牡鹿半島(鮎川浜)での復興祭の後片付け)

 夕方の作業を終え、地域の人々や、同じく汗を流して各作業をご指導いただいたボランティアの方々との別れを惜しみつつ、はるか愛媛からやって来たオレンジ色のバスで、はまぐり浜を後にする。その私たちに向けて、ボランティアの皆さんが「エヒーメ・エフシー!」のコールを振り付きで連呼し、見送ってくださった。
 
 夜は再び仙台市の旅館で宿泊し、5月6日の早朝、対ジェフユナイテッド千葉戦の試合会場に向けて出発。千葉へ向かう車中、右手に東京スカイツリーを見ながら、順調に高速道路を走行した。渋滞も無く予定より早めにフクダ電子アリーナへと到着。試合途中には落雷で後半のスタートが遅くなったりと、思わぬハプニングも起こったが、愛媛FCサポーターは最後まで熱い応援で選手たちを後押しした。
 試合終了後、市原温泉で休憩し、全員無事に愛媛への帰路に就いた。 
 
 震災については、新聞やテレビのニュースなどでは見てはいたが、実際に被災地に足を踏み入れてみると、そのディテールは強烈だった。日々の営みを奪われてしまった人々の絶望感や喪失感がひしひしと伝わり、全てがリアルに心へと突き刺さってきた。

 途中、心情的にもつらく、落ち込むこともあったが、明日を信じて故郷の復興を目指す現地の人々や、献身的にボランティアに従事されている方々の温かな笑顔には本当に救われた。彼らに接し、ふれあうなかで、励ますべき私たちの方が何か元気をもらったような感覚さえ覚えたのだ。今回、出会った被災者の方々は、おそらく深い悲しみや苦しみを心の中に抱えておられることだろう。それなのに愛媛から来た私たちのことを笑顔で迎えてくださったのである。
 
「この震災のことや被災した人々のことを忘れないでほしい……」と、悪夢のような災害を経験された方が語っておられた。今回の取り組みを1度きりにせず、またいつか何かの形で復興のお手伝いがしたいと感じている。そして、震災の事実が風化し、人々に忘れ去られることがないよう自ら語り継いでいきたいと思う。
 
 愛媛県社会福祉協議会様、みやぎ愛媛県人会様、関東愛媛県人会青年部ボランティア部様、ベガルタ仙台・市民後援会様、ちょんまげ隊様、STEP:東日本大震災復興支援プロジェクト様、奥島観光バス様などなど、今回のボランティア企画をご支援、ご協力頂いただいた皆様、誠にありがとうございました。


松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール
 1967年5月14日生まれ、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。 
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