第287回 審判にかき乱された南米予選 ~ホルヘ・ヒラノVol.22~
1986年メキシコワールドカップ、南米予選の最終節、アルゼンチン代表対ペルー代表戦の後半、ペルー代表が2対1とリードしていた。
このままではワールドカップ出場権はペルー代表が手にする。ホームのアルゼンチン代表は、ディフェンダーまで全員がペルー代表陣地に入り、ゴールを狙った。ペルー代表の選手たちは、粘り強く、泥臭く守る。
ペルー代表のゴールキーパー、エウゼビオ・アカスーソはまるでシュート練習のように何度も強いボールを受けることになった。
危うい場面もあった。
アルゼンチン代表の守備の要、ダニエル・パサレラの強いフリーキックを泥濘んだ足元もあり、大きく弾いた。そのボールをペドロ・パスクーリが頭で合わせたが、ゴール上に外れた。
スタジアムに詰めかけたほとんどの観客はアルゼンチン人である。ホームでこのまま負けるわけにはいかない。スタジアムは異様な雰囲気となっていた。その空気がピッチの中に流れ込んだ。
誤審でイエローカードを提示
後半34分、アルゼンチン代表のホルヘ・ブルチャガがペルー代表選手の足を蹴った後、フアン・バルバスが身体をぶつけて倒した。しかし、審判がイエローカードを提示したのは、プレーに関係なかったエンツォ・トロセロだった。審判も混乱していたのだ。
交代枠を使い切ってしまい、出番がなくなったホルヘ・ヒラノはベンチに座っていた。このまま試合が終わってくれと祈るしかなかった。
アルゼンチン代表の攻勢の前に、ペルー代表は明らかに疲弊していた。いつ決壊してもおかしくなかった。
ヒラノはこう振り返る。
「間違いだったのは、途中出場で入ったチリーノスがマラドーナをマークしたことだった。あの日、気温は14度ぐらいで、肌寒かった。チリーノスが途中出場する予定はなかった。ルーチョ・レイナの怪我で突然、ピッチに入ることになった。身体が温まっていない選手が、あの激しい試合に適応するのは難しい。ましてやマラドーナのマークだ。本当ならば(ディフェンダーのホルヘ・)オラチェアがマークして、チリーノスがカバーに回るべきだった」
そして後半36分、試合が動く——。
コーナーキックからのこぼれ球を最後尾のアルゼンチン代表の選手が拾った。両チームの選手が、ペルー代表の陣地にいたのだ。そして、右サイドへロングパスを出した。
“サッカー以外の騒動”
そのボールをパサレラは肩で前に落とすと、右足を振り抜いた。彼の利き足は左だが、右足のシュートも強力だった。キーパーのアカスーソはボールを弾いた。ボールは横に転がりポストに当たった。ゴール前に詰めていたチリーノスがクリアしようと走り寄ろうとした瞬間、アルゼンチン代表のパスクッリが後からチリーノスの肩をつかんで押さえた。その隙にリカルド・ガレッカがボールをゴールに蹴り込んだ。
ガレッカは後半16分から途中出場したフォワードの選手だった。同点に追いついたアルゼンチンの選手たちはゴール裏に走り込み、観客と喜びを分かち合う。その表情を写真にとろうとカメラマンが取り囲んだ。
ピッチの中にはペルー代表の選手たちが怒りを露わにしていた。パスクッリのプレーはファールではないか。ペルー代表の選手たちが審判に詰め寄ったが、審判は「見ていない」と首を振った。判定は覆らない。
その後も、アルゼンチン代表が一方的に攻め続ける。ペルー代表に力は残っていなかった。これ以上の失点をしないように外に蹴り出すのが精一杯だった。
試合終了の笛が鳴った。2対2——アルゼンチン代表がワールドカップ出場権を手にした。
ヒラノは語気を強める。
「あの主審は本当にひどかった。あの試合は我々が勝つべきだった。想像してほしい。翌年にメキシコで行われたワールドカップに、マラドーナたちが出場していなかったら。そうした事態になりかけていた」
この時点ではペルー代表のワールドカップ出場の可能性が断たれたわけではなかった。
南米大陸の予選は、やや変則的だった。出場枠は4。10カ国が、4、3、3の3つに分けられた。それぞれ3つのグループ首位は出場権獲得。4カ国のグループは2位と3位、3カ国のグループは2位が、CONMEBOLプレーオフに進む。ペルー代表は4カ国のグループ1の2位となった。ウルグアイに続いてグループ2位となったチリ代表とプレーオフ1回戦、対戦することになった。マラドーナを擁する南米大陸の強豪、アルゼンチンと互角以上に戦ったペルー代表が勝ち抜く可能性は十分あった。
ただし——プレーオフが行われるのは半年近く後になる。それまでにサッカー以外の“騒動”の影響を受けることを、このときヒラノたちは知らなかった。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。