ケン・グリフィー・シニアとケン・グリフィー・ジュニア、ボビー・ボンズとバリー・ボンズ、近年ではセシル・フィルダーとプリンス・フィルダー。メジャーリーグでは親子2代の名プレーヤーが少なくない。
 翻って日本の場合はどうか。長嶋茂雄は名プレーヤーだったが、一茂は? 野村克也と比べて克則は? 残念ながら親子2代の名プレーヤーは1組も誕生していないのが、この国のプロ野球の実情である。

 その理由は何か?
 ノムさんがこの2月に上梓した自著『プロ野球重大事件』(角川ONEテーマ21)でユニークな持論を展開している。
<なぜ親子の名選手が生まれないのかはわからない。テッド・ウィリアムスの言葉に「プロスポーツでいちばん難しいのはバッティングだ」というのがあり、そのあたりに理由がありそうな気がするが、いずれにしろ、よくわからないというのが正直なところだ。
 じつはカツノリがプロに行きたいといったとき、私は大反対した。明治大学でキャッチャーをやり、そこそこ活躍したものの、プロのスカウトからは声はかからなかった。
「専門家が無理だといっているんだぞ。絶対に後悔するから、やめておけ」
 私はそういって説得したのだが、「子どものころからの夢だ」とか「失敗しても悔いは残さない」とかいってきかない。私としても、それまで父親らしいことは何ひとつしてやれなかったという弱みがあったから、親馬鹿というしかないが、ヤクルトの相馬球団社長にお願いしてみた。
「息子がわがままをいっているのですが、獲っていただけますか?」
 すると「どうぞ、どうぞ」ということだったので、「何位でもけっこうですから」とドラフトで指名してもらったのだ。>

 ノムさんは一茂についても言及している。
<彼はバッターとして、選手として致命的な欠陥があった。ボールを怖がりすぎるのである。あれだけの身体をしているのに、腰が引けてしまう。あまりにも度が過ぎているので、訊ねたことがあった。
「おまえ、頭にぶつけられたことがあるのか?」
「いや、ありません」
「じゃあ、なんでそんなに怖がっているんだよ」
 私は呆れたが、おそらく「ぶつけられたらどうしよう……」とマイナス思考になっていのだろう。(中略)
 困り果てた私は、日米野球の際、相手の監督に訊ねた。
「ボールを異常に怖がる選手がいるのだが、どういうふうに指導したらいいだろう」
 返ってきた答えはひとことだった。
「バイバイ」
 つまり、「教えても無駄だからサヨナラしろ」ということだ。それで、もはや私の手には負えないということで、「親父のところに預けたほうがいいんじゃないか」と球団にいって、無償で巨人に移籍させたのである。>

 ノムさんによれば、克則も一茂も、成長を阻んだのはバッティングの欠陥だったというのだ。
 なるほど、と思うが、それだけが理由ではあるまい。守備力が買われてレギュラーになった選手もたくさんいるのだから。
 いつだったか、“鉄人”の異名をとる衣笠祥雄から、日米の親子鷹のレベルが違う理由について、こんな話を聞いたことがある。「アメリカでは選手が自分の子供を球場に連れて来るでしょう。そこでメジャーリーガーたちに混じってピッチングやバッティングをやっている。これほどいい練習はないですよ。
 ところが日本では“親の戦場に子どもを連れ来るとはけしからん”と思う人がいて、なかなか球場に連れて来られないんです。このあたりもいい2世が育たない理由かなと考えています」
 確かにそうだ。日本でもアメリカから来た選手たちは平気で我が子を球場に連れてくるが、日本人選手の子供たちが練習に“参加”しているのは稀である。

 加えて言えば日本学生野球憲章で、原則としてプロや元プロ選手たちは我が子といえども、日本学生野球協会の許可がない限り指導することはできない。
 つまり高校時代の一茂や克則をミスターやノムさんが教えたりすることはできないのだ。高校生といえば、身体的にも技術的にも一番、成長する年頃。親子であっても指導はまかりならんというルールこそ時代遅れのように感じるのは私だけだろうか。

 しかし、逆にこうも考えることができる。政治家にしろ芸能人にしろ、2世だらけのこの国にあって、父親の七光りだけでは通用しないプロ野球は「最後に残された実力の世界」であると。第一線で活躍している選手たちは、もっと胸を張っていいのかもしれない。

<この原稿は2012年5月8日号『経済界』に掲載されたものです>

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