クローザーとは誇り高き生き物である。“江夏の21球”で知られる1979年の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦。4対3と1点リードで迎えた9回裏、広島の守護神・江夏豊は無死1、3塁の場面で心をかき乱される。「なにしとんかい!」。池谷公二郎がブルペンに走り、北別府学も続いたのだ。「オレを信用しとらんのか……」
 もっとも監督の古葉竹識にしてみれば当然の策だ。
「あの場面で江夏を代える気は毛頭なかった。しかし延長戦に入れば江夏に打順が回ってくる。ベンチとして次の投手の準備をしておくのは当然でしょう」。このイニング、江夏は無死満塁のピンチを招きながらも“スクイズ外し”という修羅場の妙技で広島に初の日本一をもたらせるのだが、古葉へのわだかまりは簡単には消えなかったという。

 そのシーンを見ていて33年も前のことを不意に思い出してしまった。4月28日、マツダスタジアムでの広島対東京ヤクルト戦。広島は8回裏に4対3と逆転し、9回表を迎えた。当然、締めくくりのマウンドには守護神のデニス・サファテが上がると思われた。

 ところが野村謙二郎監督が指名したのはサファテでなはくセットアッパーのキャム・ミコライオ。おそらくミコライオには「なぜ、ここでオレが……」との戸惑いがあったのだろう。案の定、彼は制球を乱し、ウラディミール・バレンティンに逆転3ランを浴びた。唐突にボスから不信任案を突き付けられたサファテの心境はいかばかりだったか。「オレは故障などしていない」との試合後のセリフに背信への怒りが見てとれた。

 この一件、試合翌日に指揮官がサファテに謝罪することで“和解”を演出したが、一度失った信頼関係はそう簡単には修復できない。その後、サファテは明らかに精彩を欠き、5月28日には2軍に降格。ミコライオも体調不良を訴えるなど、一時期の勢いはない。

 今季の広島は即戦力ルーキー野村祐輔や舶来大砲ニック・スタビノアが加わったことで開幕前にはAクラスに推す評論家が少なくなかった。しかし4・28以降、数少ないアドバンテージであった「充実したリリーフ陣」にほころびが生じ、「ふりむけばヨコハマ」の状況だ。クローザーの誇りを軽視したツケの請求書の額面は、普通の采配ミスより1ケタ、いや2ケタ多いのかもしれない。

<この原稿は12年5月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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