巨人の猛追に遭いながらも、中日が首位をキープ(6月15日現在)していられるのは、この男の仕事ぶりに依るところが大きい。

 中日のクローザー岩瀬仁紀が、さる6月9日の東北楽天戦で自身の持つプロ野球記録を更新する9年連続20セーブを達成した。開幕から56試合目での20セーブ到達は自己最速というオマケ付きだ。中日の30勝のうち、ちょうど3分の2の勝利に貢献しているわけだから、岩瀬の鉄腕ぶりは際立っている。
 37歳にして、いまだにその座を脅かす者はいない。これまで選手生命が危ぶまれるような大きな故障をしたことは一度もない。“無事是名馬也”の典型だろう。

 岩瀬と言えば思い出されるのが、2007年の北海道日本ハムとの日本シリーズだ。3勝1敗と中日が王手をかけて迎えた第5戦、中日の先発・山井大介は一世一代のピッチングを演じていた。8回終了までパーフェクト。シリーズ史上初の大偉業達成に、あとアウト3つと迫っていた。
 しかし得点は1対0。走者をひとりでも出せば、試合はどう転ぶかわからない。しかも山井は試合中にマメを潰し、出血していた。

 さて、指揮官の落合博満は、どうしたか。山井を降ろし、岩瀬を締めくくりのマウンドに上げたのだ。ナゴヤドームが大きなどよめきに包まれたのは言うまでもない。
 岩瀬の心中は察して余りある。通常ならスタンディング・オベーションを背に受けてマウンドに上がる場面で、どよめきなのだ。
「正直、あれはものすごくやりづらかった」
 だが、ここで心が揺れ動いては相手に付け入るスキを与えてしまう。岩瀬は表情を消し、自らのミッションに集中した。わずか13球で3つのアウトを奪い、ゲームの幕を引いた。

「オレが(交代を)批判されるのはいい。それよりも、オマエが3人で抑えることの難しさを、なんで分かってくれないんだろうな」
 後日、指揮官はそう言って、守護神をねぎらった。

 99年に逆指名(ドラフト2位)で入団。左のセットアッパーとして活躍した後、クローザーに転向した。
 これまでに333ものセーブを積み重ねてきた。原則として全試合にベンチ入りするクローザーに“上がり”はない。勝っても負けても一喜一憂せず、次の登板に備える。体のメンテナンスは当然として、心のケアにも努めなければならない。
 いったい、どのようにして平常心を保っているのか。そこにこそ幕引きの秘訣が隠されているに違いない。

 今春、キャンプ地の沖縄で会った際、岩瀬はこう語っていた。
「この仕事は結果が良かれ悪かれ、ストレスはたまるものです。だから2月から11月までは、とにかく我慢、我慢。解放されるのはオフになってからで十分。ストレスから逃げるのではなく、それが当たり前だと考えなくちゃ、この仕事はできません」
 球団史上初の3連覇は、ひとえに彼の左腕にかかっている。

<この原稿は2012年7月1日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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