ロンドン五輪まで、いよいよ1カ月を切りました。日本のメダルラッシュが期待される競泳は28日から男子400メートル個人メドレー予選を皮切りに競技がスタートします。前人未到の3大会連続2冠を目指す平泳ぎの北島康介選手、北京の雪辱を狙う背泳ぎの入江稜介選手などに金メダルへの期待が高まっています。今回は、日本の五輪競泳史上に残る名場面、ソウル五輪男子100メートル背泳ぎでの鈴木大地さんのレースを、振り返ります。
<この原稿は『1ミリの大河――新スポーツ論』(マガジンハウス、2000年刊)に掲載されたものです>

 今回の登場人物はソウル五輪ゴールドメダリストの鈴木大地。あれから11年が立つというのに、つい昨日のことのように思い出してしまうのは、レースが衝撃的で、なおかつ感動的だったがゆえだろう。

 競泳男子100メートル背泳ぎ決勝。大地は3コースのスタート台に立った。となりの4
コースには世界記録保持者のバーコフ(米国、予選通過タイム54秒51)、5コースには元世界記録保持者のポリャンスキー(ソ連、予選通過タイム55秒00)がいた。
 大地の予選通過タイムは、バーコフから1秒39遅れる55秒90。プールサイドでは「金メダルは不可能。いやメダルだって難しいかもしれない」との憶測が流れた。
 電子音が鳴ってスタート。25メートル、まずポリャンスキーが水面に出た。普段なら、この距離で浮かび上がってくる大地は、となりのバーコフとともにまだ潜ったままだ。30メートルを過ぎてやっと水面に出た。
 オール・オア・ナッシングの賭け――。実はこの大地の潜水距離の延長には大きな意味が込められていた。

 通常、大地はタイムにして12秒、水中でのキック数21回で25メートル付近に浮上する。これ以上の時間を水中で過ごせば、後半、スタミナを維持できなくなる。12秒の潜水時間、21回のキック数は、練習と実戦の双方から弾き出した必勝パターンであった。
 ところが、バーコフが予選で54秒51の世界レコードを出したことにより、大地の必勝パターンは全く意味をなさなくなった。大地の自己ベストは55秒32。もし彼がセオリーどおりに泳げば、バーコフの軍門に下ることは火を見るよりも明らか。現時点での力の差を逆転するには、伸るか反るかの大バクチに打って出るしかない。

「大地、オレたちが狙っているのはただのメダルじゃない。金メダルだ。そうだな!?」
 コーチの鈴木陽二が大地に言った。
「もちろんですよ」
 大地は手短に言葉を返した。
「21回のバサロを25回にしないか。そうすれば(バサロの距離が)5メートルは伸びる」
 鈴木陽二が作戦を伝授した。
 だが、大地は小さく首を振った。
「いや、27回で行きましょう。勝負するしかないでしょう」
 バーコフはプレッシャーに弱い。水面に浮上した時、ぴったりと横にくっついていれば泳ぎが乱れるのではないか。ラスト25メートルまでついて行けば、きっとゴール寸前で逆転することができる。大地はそう読んだのである。

 そこまで大地が金メダルにこだわったのは、4年前の屈辱が癒されていなかったからである。もっといえば、このソウルはリベンジの舞台でもあったのだ。
 18歳でロス五輪に出場した大地に、世界の壁は途轍もなく厚かった。100メートル、200メートル(背泳ぎ)ともに予選落ち。メドレーリレーのみ決勝に残り、そこで大地は57秒70の日本記録をマークした。
 それでも大地はかけらほどの達成感を手にすることはできなかった。
「オリンピックに出るだけじゃダメ。勝たないことには……」
 4年後のソウルに向け、鈴木陽二は緻密な戦略を練った。泳ぎは負けていない。差があるのは体力だけ。そこさえクリアできれば表彰台にまでは必ず行ける。そこから先は……。

 ロス五輪後、大地の雪辱戦が始まった。大地の気持ちは一時期、早大進学にかなり強く傾きかけた。しかし自宅のある千葉から所沢キャンパスまで通うとなると、練習に大きなハンディキャップをきたす。鈴木陽二はヘルニアの手術の傷も癒えないうちに病院を抜け出し、自らのクラブにとどまるように説得した。
 ここが勝負どころと踏んだのである。
 ソウル五輪の直前、鈴木陽二は大地とともにオリンピックプールを訪ねた。文字どおり水に慣れるため、本番と同じ水温を要求した。それは、勝つためにあらゆる手段を講じ、悔いを残さないという2人の決然たる意志の表れであった。彼らは、およそ考えられるすべての策を実行に移し、万全の構えでソウルに臨んだのである。

 ゴール前5メートル、バーコフと大地、そしてポリャンスキーの3人がほぼ真横にならんだ。日の丸の小旗がプールサイドで激しく揺れる。大歓声が3人の水しぶきの音をかき消す。残り3メートル、2メートル、1メートル、50センチ……。3人の腕がほぼ同時にゴール板を叩いた。
「オレは勝ったのだろうか……」
 大地はバーコフより一瞬早く、ゴール板をタッチした。実は薄い板状のゴール板とセンサーは3本の操作線で結ばれており、トンと衝撃を与えない限り、ゴールと認定されない。タッチの強さが明暗を分けることもありえる。それを知っていた大地は骨折を覚悟で指先をゴール板に突き立てたのだ。
「1位、D・SUZUKI、55秒05」
 夢にまで見た瞬間だった。
「あれは一種の桃源郷でした」
 と大地が至福の瞬間を語れば、「勝つ極意は?」という質問に、名伯楽の鈴木陽二はこう答えた。
「どんな時にも攻めてやるという気持ちを失わないこと。僕もいつかは緊張の世界に行ってみたいと思い、ソウルでは限られた時間の中でいろいろと打つ手を探した。プレッシャーと戦うのではなく、プレッシャーを楽しめばいいんですよ」

 スポーツの現場を取材していて、いつももどかしく感じられるのは、はからずも鈴木陽二が言ったように、「プレッシャーを楽しめる」選手が少ないことである。
 誤解なきように言っておくが「プレッシャーを楽しむ」とは、子供がピクニックに出かけるように、弛緩した時間を思いのまま楽しむということではもちろん、ない。
 せっかくの大舞台なのだから、ここはひとつまわりをアッと驚かしてやろう。この手はどうか、あの手はどうか、その時、相手はどう出てくるだろうか……とチェスの名手のように脳細胞をフル回転させることである。
 翻って、大舞台を控えた選手の中に、しばしば「あとは開き直ってやるだけ」と口にする者がいるが、こうした選手が予想を上回るようなパフォーマンスを演じた試しはない。開き直る――とは、私に言わせれば現実逃避であり、それは単なる「思考停止状態」に他ならない。そうした愚か者に神が至福の瞬間をプレゼントしたいと思うだろうか。答えは待つまでもあるまい。

「負けはしたが、練習どおりにできたので満足している」
 と言う選手や指導者にも、私は魅力を感じない。
 プロセスは確かに大切だが、それは結果がともなってはじめての評価の対象となるものではないだろうか。
 負けた選手に「オレの教えたとおりによくやってくれた」と慰めている指導者にしばしば出くわすが、なぜ選手をいたわるのかというと、単に自分のマスターベーションに協力してくれたからという理由に他ならない。
「選手たちをほめてやりたい」「選手たちに感謝したい」――と涙ながらに話す指導者もそのタグイである。こうしたセリフは自らが主人公だとカン違いしているから、つい口をついて出てしまうのである。

「21回のバサロを25回にしないか」
「いや、27回で行きましょう。勝負するしかないでしょう」
 作戦を練り、それを伝えたのは鈴木陽二だが、決断したのは大地だった。ふたりの関係は理想の“二人三脚”であり、だからこそ、日本スポーツ史上に残るグレート・アップセットを現出せしめたわけである。
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