ジャイアンがしずかちゃんを指導し始めたのは昨年の3月からだ。といっても漫画「ドラえもん」の話ではない。パラリンピックの柔道の話である。
 ジャイアンとはバルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストの小川直也。その後、プロレスラー、格闘家としても活躍し「ハッスル! ハッスル!」の掛け声とポーズは一世を風靡した。現在は現役生活を続ける一方で柔道の町道場も主宰している。
 昨年11月から出演しているトヨタのCMでは「ドラえもん」のジャイアンに扮し、芸達者な一面を見せている。これが“はまり役”でキャスティングの妙を感じさせる。

 しずかちゃんとはロンドンパラリンピック視覚障害者柔道女子52キロ級に出場する半谷静香。弱視で色の判別もほとんどできない。
 いったいどんな縁でジャイアンとしずかちゃんは出会ったのか。小川は語る。
「筑波大学柔道部総監督の岡田弘隆先生から彼女のことを頼まれたんです。何とかならないかと……」

 実際に指導を始めてみて驚いた。使える技は背負い投げくらい。初心者に毛が生えた程度のレベルだった。逆にそれが小川には新鮮に映った。「背負い投げだけでこれだけやれるということは、ある意味“伸びしろ”の部分は相当大きい。柔道には一気に伸びる時期があるんです。ロンドンまで、もうあまり時間はないですけど、できるだけのことはやろうと考えています」

 弱視ゆえ、ビデオを観ながらレクチュアを受けたり、相手を研究したりすることはできない。技をかける上で、あるいは相手の技を切る上で体のどの部分が重要か、そのためにはどの筋肉を使うべきか。小川は「ポンポンとポイントを叩く」ことで、それを彼女に的確に伝える。
「たとえば背中の力が必要な場合はポンと背中を押してみたりね。最初は、いわゆる手取り足取りから始めました。確かに時間はかかりましたけど、だいぶ理解してくれるようになりました」。半谷に感想を聞くと「今まで体の使い方まで教わったことがなかったので、新しい発見がたくさんありました」と言って、あどけない表情を向けた。

 本番まで、あと50日。喜びあり涙ありのジャイアンとしずかちゃんの二人三脚。ハッピーエンドが待っていればいいが……。

<この原稿は12年7月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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