「あの人、かっこいいなぁ……」
 高知中学3年生の高木悠貴の目に留まったのは、ある1人のピッチャーだった。当時、附属の高知高校のエースで、後に法政大学の先輩となる二神一人である。高知の練習は厳しいことで有名だ。だが、二神はその練習後に必ず一人、走り込みをしていた。高木が中学の練習を終え、自転車で帰ろうとすると、いつも黙々と走る二神の姿があった。
「あんなきつい練習の後に走れるなんてすごいなぁと思いました。それに、僕らが『お疲れ様です』と挨拶をすると、きちんと返してくれたんです。その姿がかっこよくて、憧れましたね」
 翌年の春、二神の卒業と同時に、高木は高知高校野球部に入った。
 甲子園を目指し、意気揚々と野球部の門を叩いた高木を待ち受けていたのは、甲子園出場の厳し出だった。その年の春、県大会決勝で明徳義塾を破り、四国大会では4強入りを果たした高知は、その年の夏、優勝候補の筆頭に挙げられていた。ところが、なんと初戦の相手は同じ優勝候補の明徳義塾。事実上の決勝戦だった。ところが、試合は意外にもワンサイドゲームとなった。春のリベンジとばかりに初回から得点を積み重ねていく明徳義塾に対し、高知はなかなか得点できない。4回にホームランでようやく1点を返し、8回にも1点を追加したものの、終盤にも大量得点を奪った明徳義塾には遠く及ばなかった。結局、2−7と完敗での初戦敗退を喫した。甲子園への道のりの厳しさを痛感させらる試合だった。

 3年生の引退と同時に、新チームが結成された。高木は1年生で唯一、レギュラーの座を掴んでみせた。それは与えられたチャンスをいかしたものだった。当時、高木はショートを専門としていたが、セカンドのレギュラーの座を掴みつつあった同級生が遠征でミスを重ねたことで、高木にセカンドのポジションが与えられた。セカンドにコンバートして初めての練習試合、高木は4打数3安打をマークした。ほとんど経験のなかったセカンドでの守備はミスもあったが、バッティングを買われ、セカンドでのレギュラーの座が与えられたのだ。

 迎えた秋季大会、チームは打線が好調だった。2回戦は安芸桜ヶ丘に12−0(5回コールド)、準々決勝は高知西に11−1(6回コールド)、準決勝は8−1と大量得点を奪っての大勝で、決勝進出を果たした。決勝の相手は夏に初戦で敗れた明徳義塾。実は2カ月前の8月の新人戦決勝では、4−20という大敗を喫していた。その雪辱とばかりに、高知は初回から打線が爆発し、5回を終えて、10−0と完全に主導権を握った。ところが、明徳義塾もそのまま黙ってはいなかった。終盤に打線が本領を発揮し、7回に3点、9回に4点を奪って怒涛の追い上げを見せる。結果的には逃げ切るかたちで高知が勝利を収めたが、簡単には甲子園に行かせてはもらえないことを印象づけられた試合となった。

 四国大会に入っても、高知の打線は好調だった。初戦の準々決勝は丸亀城西(香川)に9−2(7回コールド)、準決勝は同じ高知県の室戸に7−0(8回コールド)で決勝に進んだ。相手は愛媛県の古豪・今治西。高知は初回にいきなり主砲のタイムリーで2点を先制した。ところが、2回以降はランナーを出しながらも、ホームに返すことができず、追加点を奪えない。逆に4回、今治西にスクイズを決められ、1点差に迫られた。後半に入っても、追加点が奪えない苦しい展開となったが、なんとかそのまま1点差を守り切った。

 一見、成績だけを見ると、打線のチームと思われがちだが、実は高知が目指していたのは、まさにこうした少ないチャンスをモノにし、守り切るという野球だったのだ。「打率10割は無理だが、ノーエラーは可能」が口癖の島田達二監督のもと、高知の練習は守備に多くの時間を費やしていたのだ。そのため、その今治西戦は大勝した他の試合以上に、チームにとって大きな自信となった試合でもあった。

 21年ぶりに四国大会を制した高知は、その後、明治神宮野球大会に臨んだ。ここでも高知の勢いは止まらなかった。初戦では翌年の夏、野村祐輔(広島)を擁して準優勝する広陵(広島)に8―3、準決勝では約4カ月後のセンバツで準優勝する常葉菊川(静岡)に8−2、そして決勝では春夏あわせて3度の全国優勝を誇る報徳学園(兵庫)に10−5で勝ち、初優勝を達成した。

 しかし、高木たちは一切、優勝など狙っていなかったという。
「僕たちは明治神宮大会に出場できただけで、もう十分だと思っていたんです。しかも、初戦の相手が広陵だとわかった瞬間、みんな『終わったな』って。そしたら、ポンポンと勝ってしまって……。決勝の報徳学園もそうですけど、多分、負けて当然という楽な気持ちで臨んだのが良かったんだと思います」
 秋の県大会以降、公式戦では負け知らず――。それは全国でたった1校だけに与えられる勲章だった。

(第3回につづく)

高木悠貴(たかぎ・はるき)
1990年10月5日、高知県高知市生まれ。小学生で野球を始め、中学からは内野手として活躍。高知高校では1年秋からレギュラーとなり、2年春・夏、3年夏と3度、甲子園に出場した。卒業後、法政大学へ進学。1年秋に右肩を故障し、長いリハビリ生活を経て、3年秋にリーグ戦デビュー。今年の春季リーグ戦ではチームトップの打率3割1分4厘をマークした。









(斎藤寿子)
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