藤澤和心(日本体育大学女子サッカー部/愛媛県松山市出身)第2回「“負けず嫌い”で成長」
愛媛県松山市で生まれ育った藤澤和心(ふじさわ・なごみ)。その名には両親の「和の心を持って、人の心を和ませるような子になって欲しい」という願いが込められている。
幼少期から「身体を動かすことが好きでした」という藤澤。走ることが得意で、短距離も長距離も自信があった。父・厚年(あつとし)が娘に抱く印象はこうだ。
「とにかく負けず嫌いでしたね。マラソン大会は小学3年生以降、毎年優勝していました。運動のみならず勉強も“負けたくない”と。どんなことにも手を抜かない子でした」
サッカーを始めたのは小学1年生時で、2学年上の兄の影響だ。当初は帝人サッカースクールに通っていた兄に付いていくかたちで、グラウンドの隅で砂遊びや鬼ごっこに興じていた。ある日、スクールのコーチからサッカーボールをプレゼントされた。「ボールをもらったら、やるしかなかった。周りも男の子しかいなかったから、最初は嫌々でした」と本人。練習に行くのも乗り気ではなく、父によれば家で泣いていたこともあったという。
藤澤きょうだいが入団した帝人サッカースクールは、1992年に松山市を本拠地として設立された。1960年から2003年まで実業団サッカー部があった帝人松山事業所のOBや、帝人グループ従業員が指導者となり、小・中学生向けのサッカースクールとして立ち上げた。プロサッカー選手を輩出している愛媛県の強豪スクールだ。
「最初は嫌々」だったという藤澤も、サッカーに夢中になっていく。小学3年時に転校してきた同級生の存在が大きかった。藤澤はこう振り返る。
「女の子が増えたことで、私としても練習に行きやすくなったし、同じ左利きでポジションも被っていたので、その子に負けたくなかったんです」
藤澤の利き手は右だが、利き足は左。父と兄は足も右利きである。「気が付くと、左足で蹴る方が心地良いような感じがしていました」。今ではチームのセットプレーのキッカーを任される藤澤だが、この頃はまだ不安定だった。父・厚年はしみじみと語る。
「昔から一生懸命にボールを追いかける子だった。サッカーを始めたばかりの頃は、こうやってキッカーを任されるようになるとは思いもしませんでした。ひとえに彼女の努力の賜物だと思います」
もうひとつの転機は小学5年時。同じく松山市を拠点とする桑原サッカースポーツ少年団内の女子部、桑原女子FCに入ったことだ。帝人は男子チームだったが、先述した3年生時に転校してきた同級生に誘われ、桑原女子FCに加わった。藤澤は当時の思い日体大SMG横浜の公式note(2023年10月3日配信)で、こう綴っている。
<女子チームにも行くようになってから、ものすごくサッカーが楽しくなり、本気で上手くなりたい、そして本気でサッカーを好きになりました。今思えばここで女子チームに入ったことは、自分にとってターニングポイントだったのかもしれません>
藤澤の小学生時、父は香川に単身赴任中だった。週末を利用して帰省し、子どもたちの練習に付き合った。帝人サッカースクールが使用するグラウンドに藤澤親子はチームの練習後も居残り、日が暮れるまでボールを蹴る日々だった。時にはボールを使わずダッシュを繰り返したこともあったという。
壁こそが養分
家に帰れば、録画した試合の映像を見ながら反省会だ。「気になったプレーのところで一時停止し、本人たちに質問しました。“このポジションの時はこう動かないとダメだ”と話していました。その都度出てくる課題を、練習でクリアにしていく感じでした」と父・厚年。トラップに課題があれば、早速グラウンドで父と反復練習をした。キックに課題があれば、兄に教わりながら、精度を磨いた。
この頃の藤澤は目標シートを書いていた。
「“愛媛FCレディースに行く”など、短期目標、中期目標を細かく書きました。その時は“高校卒業後、プロになる”とも」
最終目標は<日本代表になる>で、当時のポジションが攻撃的だったこともあり、<得点をたくさん取る>とも書いていたという。目標シートは、父・厚年の指示によるものだった。
当時を思い浮かべながら、父・厚年は「ちょっと面倒くさい親だったかもしれませんね」と苦笑する。
「頑張ることは誰もがする。それよりもどう頑張るかが大事。目標を明確にするために、スタミナが足りないんだったら、“何kmを何分で走れるようなる”とか具体的な数値を出させました。KPIをしっかり出しましょう、と。書かせた目標はリビングに貼っていました」
KPIとは、Key Performance Indicatorの略で「重要業績評価指標」と訳されるものだ。いわゆる中間目標であり、ゴールに向かうまでのプロセスの目標数値。目標達成にむけたパフォーマンス状況を測るために設定するものである。
「MIKANに入ってから壁を感じましたか?」と問うと、こう答えが返ってきた。
「上手い先輩たちがいたので、一緒にやっていて楽しかった」
日々、高いレベルで練習を積むことで成長を実感できたのだろう。藤澤は1年時にサイドハーフでレギュラーの座を掴む。チームは全日本女子ユース(U‐15)サッカー選手権大会に出場。準々決勝で、JFAアカデミー福島に0-4で敗れたものの、ベスト8に入った。
「アカデミー相手に何もできなかった。でも負けた悔しさよりもレベル高い選手と一緒に戦えた充実感がありました。それに全国大会に出て勝ち進む経験を1年目から得られたのは良かった」
この時のアカデミーにはDF石川璃音(現・エヴァートンFC)、MF松窪真心(現・ノースカロライナ・カレッジ)など、後になでしこジャパン(女子日本代表)にも選出される逸材が揃っていた。
高い壁が立ち塞がろうとも、心は折れない。“負けず嫌い”の彼女にとって、それは常に成長への養分だった――。
(第3回につづく)
>>第1回はこちら
<藤澤和心(ふじさわ・なごみ)プロフィール>
2005年3月3日、愛媛県松山市出身。帝人サッカースクール-愛媛FCレディースMIKAN U15-愛媛FCレディースMIKAN U18-日体大SMG横浜(日本体育大学)。2歳上の兄の影響で小学生1年時にサッカーを始める。中学進学時に愛媛FCレディースの下部組織である愛媛FCレディースMIKANに入団。高校2年時に愛媛FCレディースの下部組織選手登録で、なでしこリーグに13試合出場。翌シーズンは20試合で2得点を挙げた。23年、日本体育大学に進学。1年時から出場機会を得て、2年時より左サイドバックのレギュラーとして定着した。豊富な運動量と左足のキック精度を武器に活躍し、全日本大学女子サッカー選手権大会の優勝に貢献した。大学3年時には日テレ・東京ヴェルディベレーザの「2025-2026年JFA・WEリーグ特別指定選手」として認定された。また同クラブへは、大学卒業後の入団が内定している。身長161cm。左利き。
(文・写真/杉浦泰介)

