ドイツ帝国初代宰相として知られるオットー・フォン・ビスマルクは日本の近代化にも多大なる影響を与えた大政治家だ。そのビスマルクには「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との名言がある。これについては本人の言葉かどうか疑わしいとの説もあるが、それはともかく、ビスマルクが没して100年以上経った今でも各界のリーダーたちが自らへの警句として、この言葉を口にすることは少なくない。
 プロ野球に目を移すと、監督就任1年目で北海道日本ハムをリーグ優勝に導いた栗山英樹こそは「歴史に学ぶ」賢者である。もとより、他者が仰ぎ見るような実績があるわけではない。コーチ経験もない。そんな自分に何ができるのか。広く知られるように栗山は魔術師・三原脩の采配をよすがとした。いわゆる没後弟子である。

 まるで三原が乗り移ったかのようなシーンがある。9月27日の千葉ロッテ戦。今季71試合目の登板となったセットアッパーの増井浩俊がヒーローインタビューを受けている最中、不覚にも涙をこぼしてしまったのだ。「どんな言葉でも報いられない」。酷使に耐えた右腕への感謝の思いが込められていた。

 1958年の巨人との日本シリーズ、三原率いる西鉄は3連敗からの4連勝で3連覇を達成した。奇跡の逆転優勝の立役者は神様、仏様と並び称された稲尾和久だった。全7戦のうち先発が5試合、リリーフが1試合。連投が当り前の時代だったとは言え5連投は知将の所業ではない。三原も苦い思いを引きずっていたようだ。

 それから16年経った74年、三原は日本ハムの球団社長に就任した。たまたまグラウンドにいた稲尾を呼び寄せ、三原は、いきなり切り出した。「キミには、謝らなければならないことがあるんだ」。「謝る? 何をですか? 僕は監督のおかげで、いい思いができたんです」。稲尾がきょとんとしていると、三原は頭を下げ、おもむろに語り始めた。「あのシリーズ、なぜキミを連投させたかと言うと“稲尾で負ければ皆、納得してくれる”と思ったからなんだよ。あんなのは作戦とは言えん。キミには本当に申し訳ないことをした」。以上の話は生前、稲尾から直に聞いた。

「野球は理だけじゃ勝てんよ」。三原はこうも語ったという。

<この原稿は12年10月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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