山下侑哉(サンベルクス陸上部/愛媛県西予市出身)最終回「信は力なり」
サンベルクス陸上部に所属する山下侑哉は中学時代、愛媛県ではトップランナーだった。強豪校からの誘いがある中、都道府県対抗駅伝・愛媛県チームの監督を務めた岩川英俊が赴任する宇和高校に進学した。宇和高校陸上部の長距離部門は、しばらく部員がいなかった。「その学校に、県でトップの選手だった侑哉が行くのは……ちょっと考えられなかった」と父・秀一。

写真提供:山下侑哉
侑哉は当時の葛藤を、こう振り返った。
「強豪校に行けば、他に選手も揃っているからすぐに全国高校駅伝に出られる可能性が高い。一方、岩川先生を慕って、宇和高校を選択しても全国高校駅伝に出られるかわからない……。それでも、宇和高校に魅力を感じている自分の直感を信じました」
入学して間もなく、侑哉は「岩川先生の指導に驚いた」と言う。
「部員たった3人ですよ? 駅伝を走るには人数不足の頃から、岩川先生は全国大会の会場である京都に僕たちを連れて行き、“2年後は、ここを走るから!”と試走させてくれた。僕はエース区間と言われる1区を試走した。ここまでやってくれる先生って……そうはいないですよ」
さらには、こうも。
「岩川先生は、生徒に目標をしっかりイメージさせるのが上手でした。走る量はそれほど多くない。先生は“伸びしろを残した状態で大学に進学してほしい”とのことでした」
侑哉が3年時の11月、愛媛県駅伝では「全国まであと少し」だった。彼は1区を走り、1位で襷をつないだ。最終的に宇和高校は3位と大健闘だった。
一般受験で順大へ
小学校の卒業文集に「順天堂大学に入って箱根駅伝を走る」と書いた侑哉。3校から「正式オファーという感じではないけど、声をかけてもらえた」というが、一般受験で順大を受けるため、3校とも断った。陸上の練習量を少し落とし、勉強に時間を割いた。

写真提供:西河拓郎
この時の侑哉の様子を秀一は「集中力が凄かった」と振り返る。小学校時代の担任である西河拓郎は「侑哉くんのことやけん。絶対にやりよると思っとったから、順大合格の知らせはそんなに驚かなかった」という。
2010年4月、晴れて順大に入学。「順大のマークの付いた陸上部のウェアをもらえたのはうれしかった」と侑哉。しかし、「実力不足は明らか。3年生くらいまでは夏合宿に連れて行ってもらえないレベル。合宿に行くメンバーにしか支給されないジャージがある。それをもらえない悔しさを長く味わった」という。
当時、順大には高校のスター選手が集まっていた。そんな中、見えてきたものがあった。
「順大には本当にランニングセンス抜群の選手と、コツコツ努力をする選手といたんです。後者の先輩たちから、“自分も努力を怠ったら、終わっていく”と学んだ。全体練習が終わってもプラスアルファで、ゆっくりでもいいから長い距離を走るなど、小さな努力を重ねていかないと生き残れないんだと……」
4年の春、彼は自身の進路について迷った。教員免許を取得して地元に帰り教職員になるか、実業団に入り競技を続けるか――。
「当時の1万メートルのベストタイムは30分11秒27。実業団に行くには29分台じゃないと厳しい。教職員と悩んでいたところに友人が“サンベルクスが陸上部を創部する”と教えてくれた。これはチャンスだと思いました」
すぐにエントリーし、鈴木優喜朗ゼネラルマネジャーと面談に臨んだ。フルタイムでの勤務をこなしつつ、練習もしないといけない。「相当、陸上が好きじゃないと厳しいがどう?」と面接で聞かれ、覚悟を決めた。4年の夏に内定の通知を受けた。
「悔恨の箱根駅伝」

写真提供:山下侑哉
大学4年時には、小学生の頃から恋焦がれた箱根駅伝(第90回大会)に出場した。2013年12月時点では、西郷貴之という3年生が山登りの5区を担当するはずだった。この3年生は、2年連続で5区を走っていた。
しかし、西郷は故障を抱えていた。代役として侑哉が候補に挙がった。
「12月に入って、チャンスがあるかもと聞きました。本決まりになったのはクリスマスを過ぎてからでした」
だが、憧れた箱根のレースは「人生で一番悔しい出来事」として心に残っている。タイムは5区を走った23人中21位の1時間25秒51だった。
「箱根を走ると決まった瞬間から走るまではうれしかったものの、結果に関しては責任を感じています。当時、23キロの7キロ過ぎに、足に疲労がたまっているのを感じました。単純に力不足でした」
そして視線を落とし、「だから、いまも続けているんだろうな。ここで快走していたら、“もう陸上はいいや”と思っていたかもしれない」とつぶやいた。
アスリートのピークは、個人差がある。侑哉にとっては、社会人になってからだった。大学時代、1万メートルのベストタイムは30分台だった。社会人2年目に29分36秒を記録。フルタイムで働きながら自己ベストを更新した。フルマラソンのタイムに至っては2024年2月に自己ベスト(2時間11分37秒)を更新したばかりだ。12月生まれの彼は当時、33歳。
現在の目標については、こう語った。
「フルマラソンを2時間10分台で走るのが陸上人生の1つの目標です。次のレースは7月のオーストラリア・ゴールドコースト大会を予定しています。そこに向けて、距離を走る練習に加え、この4月から体幹やフィジカルトレーニングの割合を増やしています」
侑哉に座右の銘を聞くと、彼は筆者が渡したサインペンを手に取るなり「信は力なり」と勢いよく色紙に書いた。己のピークはまだ先にある、といわんばかりに。
(おわり)

<山下侑哉(やました・ゆうや)プロフィール>
1991年12月23日、愛媛県西予市生まれ。父親の影響で幼少期から長距離走を始めた。俵津小学校、明浜中学校、宇和高校を経て2010年4月、順天堂大学に入学。4年時には第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の5区を走った。2014年3月、株式会社サンベルクスに入社。同社陸上部の1期生となる。2024年2月、延岡西日本マラソンで自己ベストを更新(2時間11分37秒)。同年3月に選手兼コーチとなった。2026年3月より「ビジネスアスリート」という新たな肩書きに変更。フルタイムで勤務しながらフルマラソンの自己ベスト更新を目指し、競技に取り組んでいる。
(文/大木雄貴、写真提供/山下侑哉、西河拓郎)
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