山下侑哉(サンベルクス陸上部/愛媛県西予市出身)第3回 名伯楽との出会い
サンベルクス陸上部に所属する山下侑哉は小学生時代、俵津町新春駅伝大会の区間記録を出場するたびに塗り替えた。それくらいの健脚だった。

俵津小学校を卒業した山下が進学した中学は市内の明浜中学校。進学先には父・秀一が体育教師として勤務していた。
秀一が振り返る。
「最初はやはり、“お父さんがいる学校は嫌だ”と言ってきました。私は“お父さんは仕事でここの中学校にいる。嫌なら侑哉が違う中学校に行きなさい”と。息子は1度の説明できちんと理解してくれました。この件に関する弱音はこの1度切りでしたね」
侑哉は、父親が勤務する中学校での生活を、こう懐かしんだ。
「中学生ながら、きちんと割り切ることができました。体育の柔道の時間で、父がデモンストレーションを見せるんです。技をかけられるときの相手役は僕だった。それはお決まりだったかなぁ(笑)」
明浜中学校には、陸上部がなかった。「男子はバレーボールか野球でした」と侑哉。彼は野球部に入部し、春になると西予市の陸上大会に出場した。中学1年生では1500メートル、2年生以降は1500メートルと3000メートルを兼任した。
侑哉は語る。
「1500メートルは学年別でのエントリーなんですが、3000メートルは1年生から3年生まで混合だったんです。父と話し合って、“まずは1年生の時に1500メートルの記録を作ろう。2年生から1500メートルと3000メートルを兼務で走ろう”と……」
「野球部との練習は大変ではなかったか?」と水を向けると、こう返ってきた。
「僕はピッチャーだったのですが、下半身強化で結構、走る練習が多かった。ベースランニングや、坂道ダッシュをかなりの数、こなしました。“これは陸上に生きるぞ”と思いながら日々、野球の練習をしていました。ダッシュ系の筋力は野球部で、ロングランの練習は、野球部の練習が終わってから自分で時間を作って、やっていました。みかん畑の農道なんかをよく走っていました」
めきめきと頭角を現した侑哉は中学2年、3年時に天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に出場した。都道府県対抗駅伝とは、中学生、高校生、大学・社会人で1チームを作って順位を競う大会だ。当時の愛媛県代表チームの監督は岩川英俊(当時・八幡浜高校勤務)だった。赴任した4校すべてを全国高校駅伝に導いた名指導者である。その岩川の下で、中学2年生の侑哉は2006年1月の第11回大会で3キロの6区を担当。なんと8分59秒の好タイムで駆け抜けた。翌年の第12回大会は同じ6区を9分9秒で走った。
全国デビュー
侑哉は、こう振り返る。
「中学2年で初めて全国規模の大会に出ました。周りの速さについていくのに必死でした。もう1つ、覚えているのは“沿道の声援って、こんなにも背中を押してくれるんだ”ということ。すごくうれしかった。このおかげで好タイムが出せたんです」
愛媛県チームの中学生代表として走った山下には、高校からのオファーが複数あった。中学3年の冬、自宅にはいくつかの高校の陸上部顧問がやってきた。やがて宇和島東高校と宇和高校の2つに選択肢は絞られた。
前者に進学すれば全国高校駅伝に出場できる可能性が高い。翻って後者は数年、陸上部の長距離部門の部員はゼロ。ただ、侑哉が入学する年に、八幡浜高校から宇和高校に、都道府県対抗駅伝で世話になった岩川が赴任することが決まっていた。
自宅にやってきた顧問の中には岩川もいた。
侑哉の回想――。
「“ウチの高校に来てくれ”“一緒に頑張ろう”という誘いの感じでは全くなかったんです。“君はこれから、こういうふうに頑張ってトレーニングを積めば、こういう選手になれるんじゃないか?”というアドバイスみたいなことを話してくれたんです。それに僕の将来のことも考えてくれていたことも伝わってきたんです」
勧誘というより、純粋に自分の将来を考えてくれている岩川の姿勢に侑哉は惹かれていった。自宅での面談の途中から「いつの間にか、宇和高校に行って岩川先生の指導を受けている体(てい)で話を聞いていた」という。
今年3月、地元で“岩川先生を囲む会”が実施された。侑哉は岩川に「宇和高校を選ぶとは思わなかった」と言われた。小学校時代の担任・西河拓郎も「陸上の成績でどこにでも行けたはずなのに、ほぼゼロからスタートの宇和高校を選んだのには、驚いた」と語った。
宇和高校は父である秀一の母校でもあった。
秀一は話す。
「当時、宇和高校陸上部の長距離を走る部員はおらず、落ち目になっていた。その学校に、県でトップの選手だった侑哉が行くのは……ちょっと考えられなかった」
長距離部門は明浜中から進学した友人と他の中学から来た3人だけ。駅伝チームを組める人数はまだ揃っていなかった……。
(最終回につづく)

<山下侑哉(やました・ゆうや)プロフィール>
1991年12月23日、愛媛県西予市生まれ。父親の影響で幼少期から長距離走を始めた。俵津小学校、明浜中学校、宇和高校を経て2010年4月、順天堂大学に入学。4年時には第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の5区を走った。2014年3月、株式会社サンベルクスに入社。同社陸上部の1期生となる。2024年2月、延岡西日本マラソンで自己ベストを更新(2時間11分37秒)。同年3月に選手兼コーチとなった。2026年3月より「ビジネスアスリート」という新たな肩書きに変更。フルタイムで勤務しながらフルマラソンの自己ベスト更新を目指し、競技に取り組んでいる。
(文/大木雄貴、写真提供/山下侑哉)
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