「最近、泣く選手が多いけど分からないなぁ。男は泣くなって。感情の起伏があるとプレーに影響する。泣くヤツはいらん」
 そう語ったのは埼玉西武の渡辺久信監督。我が意を得たりだ。

 いつから、野球選手は泣き虫になったのだろう。勝って泣き、負けて泣き、ミスしては泣き、それを取り返す好プレーをしては泣き……。もう泣いてばかりだ。
 それを煽るメディアもよくない。まるで定番のように「涙の〜」という見出しが躍る。これでは涙のバーゲンセールだ。

 振り返って考えると、昔の名選手でメソメソしていた男がいただろうか。長嶋茂雄、王貞治、金田正一、野村克也、張本勲……。彼らがボロボロ涙を流しているシーンは記憶にない。せいぜい引退試合で、ちょっと目頭をおさえた程度ではなかったか。
 男のダンディズムというと古いかもしれないが、メソメソ泣くより、そっと目頭をおさえている姿の方に共感を覚えるのは私ひとりではあるまい。

「男が泣く時はなァ、親が死んだ時だけでいいと昔は教わったもんだよ。それが今はちょっと褒めればうれし泣きするし、怒れば悔し泣きするし……。いったい今の若い人はどうなっているんだよ」
 いつだったか、あるベテランコーチが困惑気味に、そうこぼしたことがある。今の時代、涙は男の恥ではないのだろう。

 誤解なきよう申し上げるが、私は単純に「男は泣くな!」と言っているわけではない。目標を達成した時、感極まって頬をつたう一筋の涙なんて、いいものだ。奥歯を噛み締めているシーンはもっといい。

 しかし、近年、そうしたシンパシーを覚える涙には、とんとお目にかかれなくなった。男の涙は、そこらじゅうにこぼれ落ちており、言葉は悪いがインフレ状態である。

 渡辺監督も指摘しているように涙は感情の起伏の表れである。自らの感情をコントロールできない者がそもそも敵に勝てるわけがない。坂本九の歌ではないが、「涙くんさよなら」と行きたい。

<この原稿は2012年11月19日号の『週刊大衆』に掲載されたものです>

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