シーズン終了から1カ月以上が経ち、チームは来季に向けて動き出しています。先日は関西でトライアウトがあり、23日には関東でも実施予定です。愛媛の第一の補強ポイントはピッチャー。12勝を挙げたデイビット・トレイハンらが抜け、先発ローテーションを再編することになるでしょう。また中軸を打っていたブレット・フラワー橋本将が抜けますから、クリーンアップを任せられるバットマンも欲しいところです。
 しかし、現実は甘くありません。即戦力になるような好素材はNPBのスカウトもチェックし、指名しています。簡単に「これは!」と目に留まる選手は見つかりません。今季はNPBでリーグ出身の角中勝也(千葉ロッテ)が首位打者やベストナインに輝き、日本代表にも選出されました。本来なら、我々もこれを追い風にしなくてはいけないところ、今回のドラフトではリーグ全体で2名の指名にとどまりました。愛媛にもスカウトに評価されている選手がいながらNPBに行けなかった現実を厳しく受け止めなくてはならないでしょう。

 今季はみやざきフェニックス・リーグでもアイランドリーグ選抜は1勝13敗4分と最下位に終わりました。僕も最後の6試合を指揮しましたが、2分4敗。最初の横浜DeNA戦こそワンサイドでしたが、他の試合は接戦を落としたり、引き分ける展開が多かったです。結果だけ見れば惜しいかもしれませんが、勝負どころで抑えられなかったり、打てない選手はプロとして大成しません。僅差のゲームで勝てなかったことこそ、力不足を示しているのだと選手は自覚してほしいものです。

 フェニックスリーグに参戦するのは当たり前ではありません。あくまでも僕たちはNPBから招かれている立場です。あまりにも弱くて試合にならなければ声がかからなくなるでしょう。その意味では選抜チームに選ばれた選手たちはもっと自分をアピールして欲しかったと感じました。自らの持ち味を精一杯出すことが、今後の野球人生を切り拓き、リーグ全体の価値向上にもつながります。「フェニックスリーグに参戦することに慣れてはいけない」。選手たちには、そう声を大にして言いたいです。

 これは自戒も込めていますが、どうしても四国の中で試合をしていると、そこでの勝敗や成績にばかり気を取られがちです。このリーグで結果を出すことで満足してしまい、更なる向上心や探究心が薄れてしまう。そんな危険性を感じています。限られた環境の中、うまく適応して結果を残すことはもちろん大切ですが、単なるアイランドリーグの選手で終わらないよう、常に「ここでのプレーが最終目的ではない」という強い気持ちを持つ。今回のドラフト指名の少なさを受けて、指導者も選手も、もう一度原点を見直すべきだと思っています。

 愛媛の話題に戻すと、今季は後期優勝というひとつの目標を達成したものの、リーグチャンピオンシップでは香川に3タテを喫し、敗退しました。年間優勝に届かなかったのは、監督である僕の責任です。愛媛はリーグのベストナインに4名が選ばれ、タイトルも打撃三冠は独占しました。選手の能力では香川に劣っていなかったにもかかわらず、短期決戦で力を発揮させるだけの準備が不足していました。これは大きな反省点です。

 しかし、昨年よりもチームは確実に前進しています。オフになると多くの選手が入れ替わるのが独立リーグの宿命ですが、来季は引き続き残留する選手がそこそこいます。冒頭に挙げたように先発ピッチャーや主軸バッターは抜けたものの、脇を固める存在の選手は多く残りそうです。たとえば1年目の四ツ谷良輔はシーズン通じて大きなケガなく、コンスタントに試合に出続けました。これは彼にとって大きなステップになったと思います。問題は今季を来季につなげられるか。オフにしっかりフィジカルを鍛え、NPBへ勝負できる2013年にしてほしいものです。

 NPBに行っても主役で自由にプレーできるのはほんの一握りです。となれば、脇役であれば脇役に徹し、それを貫いたほうが評価されるかもしれません。来季も野球をしっかり突き詰め、たとえ体格や素質で劣っても、それ以外の部分でNPBのスカウトに注目してもらえる選手を育てていきたいと考えています。

 そして本気でNPBから獲りたいと思えるような選手をひとりでも多く輩出する。これが今後の大きな目標です。「アイランドリーグに慣れてはいけない。あくまでも目指すのは、ひとつ上のフィールドで活躍すること」。このことを肝に銘じて、来季も勝利と育成の両立目指し、頑張っていきます。

 未だに愛媛は四国で唯一、年間優勝経験のない県です。来季こそ最後まで勝って終われるよう、いい選手、いいチームを段階を踏んでつくっていきます。1年間の応援、本当にありがとうございました。
 

星野おさむ(ほしの・おさむ)プロフィール>:愛媛マンダリンパイレーツ監督
 1970年5月4日、埼玉県出身。埼玉県立福岡高を経て、89年にドラフト外で阪神に入団。内野のユーティリティープレーヤーとして、93年に1軍デビューを果たすと、97年には117試合に出場。翌年には開幕スタメンで起用される。02年にテストを経て近鉄へ。04年に近鉄球団が合併で消滅する際には、本拠地最終戦でサヨナラ打を放つ。05年に分配ドラフトで楽天に移籍し、同年限りで引退。06年からは2軍守備走塁コーチ、2軍打撃コーチなどを務めた。11年より愛媛の監督に就任。
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