勇壮で知られる糸満ハーレーをテレビで観た。ハーレーとはウミンチュ(漁師)の祭りで、大漁と航海安全を祈願して15世紀か16世紀に始まったと言われている。
 数あるレースの中で、とりわけ私が興味を抱いたのがクンヌカセー(転覆競漕)である。ルールがおもしろい。なんとレースの途中でサバニと呼ばれる舟を一斉に転覆させるのだ。底の見えるサバニを一旦海に飛び込んだ漕ぎ手たちが元通りに戻し、再び乗り込んでリスタートするという、まことに不思議なレースである。
 なぜ、わざわざそんな面倒なことをするのか。聞けば、サバニは小舟ゆえ、海が荒れると転覆の危険にさらされる。常に最悪の事態に備えるため、日頃から転覆の訓練を繰り返していたらしい。それを競技化したのがクンヌカセーである。

 サバニが沖縄の海で次々と転覆しているシーンを見て、不意に思い出したのがソルトレイクシティ五輪の男子フィギュアスケートで4位入賞を果たした本田武史の言葉である。現役引退後はプロスケーターとして活躍する傍ら、後進たちの指導にも力を入れている。

「才能のある子は転び方でわかる」。本田はこう語り、続けた。「小さい子供を教える時、僕はまず転び方に注目します。わざと転ばせるんですけど、うまくなる子は痛いように見えて、痛くない転び方をしている。氷は硬いし、転ぶと痛い。だからこそ氷と仲良くならなければならない。もう氷を削って食べるくらいまで仲良くなれって。逆に怖さがある子は、なかなかうまくならない。転べない子は特にそうですね」

 ボクシングにおいても、あえて選手にダウンの練習をさせていた指導者がいた。ロシアから来日し、WBC世界フライ級王者になった勇利アルバチャコフを育てたジミン・アレキサンドルである。

 ある日、練習を見ていて私は驚いた。ジミンが勇利の肩を軽く押し、キャンバスに転ばせるのだ。呆気にとられている私を見てジミンは言った。「勇利ほどのボクサーでも偶然のパンチをくらってダウンすることはある。これは想定外の出来事に備えた練習なんだよ」

 何をもって最悪の状況というのか。それはただ単に劣勢に追い込まれることではない。予期し得なかった事態に遭遇することを指すのである。何よりも雄弁に糸満ハーレーがそれを教えてくれる。

<この原稿は12年11月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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