第1212回 森保監督の8年間の功績に敬意を
日本代表におけるプロ監督の歴史は、決して長くはない。第1号は、森保一現代表監督を代表に抜擢したことでも知られるオランダ人のハンス・オフト。「アイコンタクト」「トライアングル」「スモール・フィールド」などシンプルなキイワードを駆使して、代表のレベルを引き上げた。
協会と正式に契約を交わしたのは、1992年3月。Jリーグがスタートする1年2カ月前のことだ。オフトを招聘した強化委員長の川淵三郎は、その背景を、こう語った。「(前任の横山謙三監督の時に)カズ(三浦知良)やラモスのようなプロが代表に入ってきた。この時点で、もう代表監督がアマチュアというわけにはいかなくなった」
日本代表のレベルが上がるにつれ、監督の人選に対する視線も厳しくなる。それを象徴する出来事が、95年秋に起きた加茂周監督の続投を巡る“内紛”である。強化委員長の加藤久は、次期監督候補について「(強化委員の)主観を集めて客観化した」リストを幹部会に提出した。アーセン・ベンゲル(グランパス監督)、ネルシーニョ(ヴェルディ監督)に比べて加茂の評価は低く、続投は消えたかに思われた。
ところが幹部会が下した結論は加茂続投。記者会見で鉄火肌のジャーナリスト富樫洋一が長沼健会長に詰め寄った。「協会には続投に反対する声もある。加茂さんでフランスW杯に行けなければ、辞める覚悟はあるのか?」「ああ、辞めますよ」。売り言葉に買い言葉だ。
後日、私は長沼に質した。「代表監督を決めるのは会長か、強化委員長か」。長沼は端的に答えた。「強化委員会には代表監督の選定権はあっても任免権はない」。ならば、もっとそれを早く言うべきだった。
内紛の授業料は高くついた。これに懲りた協会は二の轍を踏むまいとして、その後、強化委員会を改廃して新たに技術委員会を設立。2018年から代表監督は会長、技術委員長、助言者の協議を経て候補者を一本化し、理事会で承認を得るよう取り決めた。今回は森保か、それ以外かということだろう。
森保が外国人も含め過去の代表監督と一線を画すのは、自らを「日本サッカーの一部」と位置付けている点である。「過去から受け取ったものを、よりよいものにして未来につなげていく」。これは、社会は生者だけのものではなく、死者も含めた先人たちの、尊い営為の「遺産」の賜物である、とする英国の思想家エドマンド・バークの「世代を超えた契約」に見られる保守主義に特徴的なもので、リスクを顧みない急進的改革とは対極をなす。
森保ジャパンに話を戻す。ブラジルに負けたからご破算に願います、というのは、ポーカーにおける手札の総取っかえにも等しく、とても善手とは思えない。代えたはいいが、前より悪くなったでは目も当てられない。
もっとも、最優先すべきは本人の意思だ。「僕に誇れることがあるとしたら、どんな問題に対しても逃げずに対応してきたこと」。8年間の素晴らしい仕事ぶりに改めて敬意を表したい。
<この原稿は26年7月1日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>
