誇りと驕りは紙一重である。レスリングが20年五輪の「中核競技」から除外された問題はIOC理事会による国際レスリング連盟(FILA)への不意打ちととるべきか、それとも伝統にあぐらをかいていたFILAの油断ととるべきか。客観的に見ると、きっと、そのどちらも間違いではないのだろう。
 私見を述べればレスリングは五輪になくてはならない競技である。「より速く、より高く、より強く」が五輪のモットーだが「より強く」の部分を最も反映しているのがレスリングである。これを除外するのは五輪への冒涜であり、IOCの自殺行為に他ならない。

 と、力んでみたところで、何ひとつ事態が好転するわけではない。レスリングの失態を通して見えてきたもの、それは情報過疎の恐ろしさである。他の競技団体は他山の石とすべきだろう。

 FILAやレスリング強国である日本協会内部から反省の弁として、しきりに聞こえてくるのがロビー活動の不足である。ロビー活動というと、何やら怪しげな人物が権力者に接近し、賄賂をちらつかせて事を有利に運ぶ工作活動を想像しがちだが、それは一昔前の手法だ。IOCの倫理規定は厳格さを増しており、もし、そんなことが発覚すれば委員は資格停止を免れない。

 では、どのようにして奥の院に働きかければいいのか。参考になる例として、当時、日本サッカー協会副会長だった小倉純二のスマートなロビー活動をあげたい。8年前のことだ。ドイツW杯出場を目指す日本代表はアウェーでの北朝鮮戦を控えていた。舞台は平壌。究極のアウェー対策に協会は頭を痛めていた。なぜなら直前のイラン戦で暴動が起き、平壌での安全が確保されにくい状況になっていたからだ。

 災い転じて福となす――。小倉は事前に審判を批判するなどして暴動を煽った「体育速報」なる新聞の記事をFIFAのゼップ・ブラッター会長に手渡し、事の深刻さを訴えた。不測の事態を案じたFIFAがタイ・バンコクでの「第三国開催、無観客試合」を決定するのは、この1カ月後である。

 決め手は小倉の人脈だった。FIFA理事でもあった小倉は独自のルートを使ってチューリヒの動きを正確に把握することができたのである。人脈に勝るロビー活動なし――。それが長きに渡ってスポーツ外交の現場で知恵を絞り、汗をかいてきた小倉の教えである。

<この原稿は13年2月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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