キャンプ地を巡っていると、思わぬところで思わぬ人に遭遇することがある。沖縄・具志川野球場。韓国プロ野球とWBC韓国代表の情報を収集しようとSK対ハンファ戦を見に行くと、見覚えのある顔があった。近鉄やヤクルトなどで活躍した神部年男。13年間の現役生活で90勝をあげ、引退後はヤクルト、近鉄、オリックスなどで投手コーチを歴任した。
 聞けば、ハンファの臨時コーチを務めているのだという。かつてサンバンウルの監督も務め、現在はハンファでインストラクターの肩書きを持つシン・ヨンギュン(日本名・平山茂雄)の依頼で昨年12月にスタートした沖縄でのキャンプに合流した。

 ちなみにシン・ヨンギュンは63年夏、アジア選手権で初めて日本に勝った時の韓国代表のエースで、クーデターで政権をとったばかりの朴正煕(現大統領・朴槿恵の父。当時の肩書きは国家再建最高議会議長)から「韓国の英雄」と呼ばれた人物。「褒美として希望するものを何か与えよう」との下問に「東大門球場にナイター設備をつけてください」と答え、大統領の歓心を買った。

「神部さんには牽制やフィールディングなど細かい技術をウチの選手たちに教えてやってもらいたいんですよ」と真っ黒に日焼けした顔をほころばせながら言った。

 神部は現役時代、牽制の名人として鳴らした。あの通算1065盗塁の福本豊が「天敵」と呼んだほどである。実は神部と福本は社会人野球時代からのライバルだった。「僕が富士製鉄広畑で福本が松下電器。もうひとつの強豪が住友金属。ここらに勝たないことには都市対抗には出られなかったんです」

 いかにして福本の足を封じるか。神部は来る日も来る日も鏡の前で牽制の練習を繰り返した。そして、ついに究極の牽制フォームを編み出した。

「福本は僕のどこを見て走るか。腰です。本塁に投げる同じフォームで一塁に牽制する。その時、ほんの少しだけ腰を(本塁方向に)移動させるんです。すると引っかかる」。「それってボークにとられませんか?」と私。「まぁ、審判によってはそうなりますかね」。動じることなく名人はサラッと言い切った。

「さぁ、これから夜間練習に付き合わんと」。この3月で70歳になる。颯爽としたユニホームの着こなしは永遠の野球青年だった。

<この原稿は13年2月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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