第323回 ガッツ石松のビッグマネー伝説

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 さる6月2日、肺炎のため76歳で世を去った、プロボクシングの元WBC世界ライト級王者ガッツ石松(本名・鈴木有二)さんの功績は、もっと評価されてしかるべきだろう。

 

 激戦区のライト級を制したのは日本人初。しかも、王座を5度も防衛しているのだ。間違いなく不世出の名ボクサーである。

 

 そのガッツさんから王座を奪ったのがプエルトリコのエステバン・デ・へスス。1976年5月8日(現地時間)、試合はプエルトリコのバイアモンで行なわれ、15回判定負けでガッツさんはベルトを失った。

 

 試合は野球場で行なわれ、3万人近い観客が集まった。動画で改めて見直すと、まるで闘牛場のような熱気に包まれていた。

 

 ヘススの軽快なワンツーがヒットするたびに、観客は大騒ぎ。終始、スピードで圧倒したヘススの判定勝ちは妥当だ。

 

 だが、少し見方を変えれば、ヘススはガッツさんの“幻の右”を恐れて深入りを避けたのではないか。彼にとっては3度目の世界挑戦ということもあり、確実にベルトを獲りにいったのだろう。

 

 

 では、なぜ、ガッツさんはチャンピオンでありながら、わざわざリスクを冒して地球の裏側のプエルトリコにまで乗り込んで防衛戦を行なったのか。敵地で勝つにはKOするしかない。いわば“火中の栗”を拾いにいったようなものである。

 

 答えは破格のファイトマネー。ヘススサイドがガッツさんに提示した金額は20万ドル。当時のレートで、1ドル300円として、およそ6000万円。

 

 当時、プロ野球界きっての高給取りは王貞治さん(巨人)で、推定6000万円。この年、王さんは自身14度目の本塁打王と11度目の打点王に輝き、長嶋巨人の初優勝に貢献している。

 

 すなわち王さんの年俸を、わずか1試合で稼ぐだけの世界的なネームバリューを、ガッツさんは有していたのだ。

 

 今のようなPPV配信全盛の時代なら、ガッツさん、大金持ちとなり、「OK牧場」の購入など、造作もなかったことに違いない。

 

<この原稿は『週刊大衆』2026年7月13日号に掲載されました>

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