WBCが2日、開幕した。3連覇を目指す日本は、1次ラウンド初戦でブラジルを下し白星スタートした。今大会、日本の最大のライバルになりそうなのがベースボール大国アメリカだ。今回にかける意気込みは、ジョー・トーリを監督に据えたことでも窺い知れる。トーリは、1996年から名門ヤンキースを率いて4度のワールドシリーズ制覇を果たした名将。歴代5位となる通算2326勝をあげた名指揮官が、ジョー・マウアー(ツインズ)、マーク・テシェイラ(ヤンキース)、R.A.ディッキー(ブルージェイズ)らスター軍団をまとめ上げる。
 そんなトーリの人心掌握術を、11年前の原稿でチェックしよう。
<この原稿は2002年2月号の『MIT』に掲載されたものです>

「結果にはがっかりしているが、ここまで来られたことを誇りに思う。選手にもそう伝えたよ。とにかく今はダイヤモンドバックスを心から祝福したい。彼らは我々を打ち砕いたんだから……」
 2001年のワールドシリーズ第7戦、ダイヤモンドバックスのルイス・ゴンザレスのサヨナラヒットでワールドシリーズ4連覇こそ達成できなかったものの“敗軍の将”は弁舌さわやかに敵を称えた。

 サヨナラ打を浴びたクローザーのマリアーノ・リベラに対しても、その労をねぎらうかのようにやさしい言葉をかけた。
「ここまでよくやってくれてありがとう。最後はちょっと運がなかっただけのことさ」

 ジョー・トーリは96年からニューヨーク・ヤンキースを率いた98年から2000年までのワールドシリーズを含め4度ワールドチャンピオンに輝いている名将中の名将。辛口で鳴るオーナーのジョージ・スタインブレナーが「これまで私が雇った監督の中でも最も優秀な人物」と手放しで褒めるぐらいだから、その手腕について改めて語る必要はないだろう。
 ちなみにワールドシリーズ?4はヤンキースのジョー・マッカシーの7度、ケーシー・ステンゲルの5度に次ぎ、元ドジャース監督ウォルター・オルストンと並んで歴代3位タイ。

 トーリの采配の特徴は「公平性」に尽きる。選手のプライドや名誉は重んじるが、決してそれに縛られることはない。2001年にブレイクした広島カープから移籍したドミニカ人プレーヤー。アルフォンソ・ソリアーノのように実績はなくても勢いのあるプレーヤーは積極的に登用する。
 新人王争いではイチローに遠く及ばなかったものの、158ゲームに出場し、打率2割6分8厘、18本塁打、73打点、43盗塁。ソリアーノの活躍なくしてヤンキースのリーグ優勝はありえなかった。
 ポストシーズンゲームでもソリアーノの活躍は光った。リーグチャンピオンシップのマリナーズとの第4戦、クローザー佐々木主浩から放ったサヨナラ2ランは、おおげさでなく日本中に落胆をもたらした。この勝利でヤンキースは王手をかけることになるわけだが、もしこのゲームをマリナーズがとっていたら、チャンピオンシップそのものの流れがかわるところだった

 ソリアーノはワールドシリーズでも“意外性の男”の本領を発揮した。2勝2敗のタイで迎えた第5戦の12回裏、ライト前にサヨナラタイムリーを放ったのもこのドミニカ人だった。
「僕がここまで活躍できたのは、辛抱強く使ってくれたジョーのおかげさ。ジョーは“キミならやれる”と常に自信を持たせてくれた。そう、いつもジョーはボクをやさしく見守ってくれたんだ」
 ポストシーズンのヒーローはトーリへの感謝を、そのように語った。

 思い出すのは伊良部秀輝がヤンキースに入ったばかりのことだ。移籍を巡るゴタゴタが原因で伊良部のコンディションはベストの状態に程遠かった。
 ニューヨークのメディアは850万ドル(約9億8000万円)という契約金をネタに「日本のノーラン・ライアン」と書き立てたが、好不調の波が激しく、いつのまにか報道はバッシングの色を帯びてきた。
 しかし、トーリは少しも伊良部を責めることなく、諭すようにこう言った。
「キミは自分の持っている力を最大限発揮してくれれば、それでいい。慌てることは何もない」
 トーリに話しかけられたことで安心して野球に打ち込むことができた伊良部は語っていた。

 その一方で、トーリは妥協や甘えを許さない。2000年のワールドシリーズでは、シーズン中、極度の不振に陥ったエース格のデービッド・コーンを先発ローテーションから外したり、打線の要だったポール・オニールに代打を送るといった非情とも思える采配を断行した。

 ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン(ひとりは皆のために、皆はひとりのために)――。それがトーリが標榜するベースボールなのである。

 チームの顔ともいえるデレック・ジーターはトーリについて、こう語っている。
「もしボスが引退するんだったら、僕も引退を考えるよ。ヤンキースにとってジョーはそれほどの存在なんだ。ジョーはいつ、どんな時でも冷静な判断ができる。ゲームに勝つために僕たちはジョーを必要としているんだよ」

 名将ジョー・トーリは新たにヤンキースとの間で3年契約をかわした。年俸総額1600万ドル(約19億2000万円)。彼の采配、人心掌握術にはそれだけの価値があるということである。
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