第295回 「濡れ衣を着させられた恩師」 ~ホルヘ・ヒラノVol.30~

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 1986年のワールドカップの開催地はコロンビアのはずだった。しかし、経済破綻、麻薬カルテルの跋扈によりメキシコで開催されることになった。

 

 この当時、ワールドカップの財政基盤は、スポンサー、入場料収入、そしてテレビ放映権である。欧州大陸の放映時間に合わせて試合時間が組まれた。そのため多くが日中の暑さの中で行われることになったのだ。

 

 このワールドカップは、アルゼンチン代表のディエゴ・アルマンド・マラドーナのための大会だったと言われる。その象徴がイングランド戦である——。

 

 アルゼンチン代表は、グループリーグを1位で勝ち抜くと、決勝トーナメント1回戦でウルグアイ代表を下し、準々決勝でイングランド代表と対戦した。

 

 後半6分、イングランド代表のバックパスにマラドーナが走り込み、手でゴールに押し込んだ。明らかなハンドだった。南米サッカーのずる賢さ——マリーシアというべきプレーだった。試合後、マラドーナはこれを「神の手」と開き直った。今ならばVAR判定でレッドカード、一発退場である。

 

 その3分後、マラドーナはずる賢さではない、その真価を見せつけた。4人のディフェンダーをスキーのスラロームのように走り抜け、最後にゴールキーパーまで交わしてボールをゴールに流し込んだのだ。2対1の勝利。アルゼンチン代表は、準決勝でベルギー代表を2対0、決勝で西ドイツ代表を3対2で下し優勝した。

 

 前年の南米大陸予選でペルー代表はアルゼンチン代表をぎりぎりまで追い詰めていた。世界一となったアルゼンチン代表、そしてマラドーナをどのように見たのか。ホルヘ・ヒラノはその問いに冗談めかしてこう答える。

 

「マラドーナがマラドーナになれたのは我々のお陰なんだ。もし南米予選の最終節で私たちがあと1点を入れて勝利していれば、マラドーナはワールドカップに行けなかったかもしれない。そうすれば86年のマラドーナはなかった」

 

 移籍金での賄賂

 

 このワールドカップをヒラノが所属していたボリビアのクルービ・ボリーバルの監督であるモイセズ・バラックが視察していた。会長のマリオ・メルカードの指示だった。

 

 彼が不在のボリビアで問題が起きていた。ヒラノとも親しいジャーナリストのラミーロ・カマチョは内幕を知る数少ない人間の1人だ。

 

「事の発端は、カルロス・アンヘル・ロペスの移籍だった。詳細な金額は差し控えるが、彼の正当な移籍金を“10”とすれば、あるクラブ幹部が“12”で取引をまとめていた。残りの“2”を自分の懐に入れたことをマリオ・メルカードは知り、激怒した。そして、その幹部は責任をバラックに押しつけた」

 

 ボリビアに限らず、サッカークラブの経営はごく限られた実力者が差配しており、外からは見えない。そのため、大金が動く移籍の際、賄賂が発生することは珍しくない。

 

 カマチョによると、バラックはボリビアに帰国すると、入国管理官の職員から「あなたに逮捕命令が出ている」と教えられたという。

 

「ラ・パスに戻ったバラックは、ボリーバルの幹部たちと会い事情を確認した。何人かの幹部と激しくやりあった」

 

 バラックはペルー人であり、ボリビアでは外国人である。往々にして切り捨てられるのはマイノリティだ。

 

「逮捕が免れないと知ったバラックはボリビアから出国することにしたんだ。ただ、逮捕状が出ていたので、空港から出国すれば拘束される可能性がある。そこでラ・パスの中心地にあるラディソン・プラザ・ホテルから大型のアメリカ製の車に乗って国境の町、デサグアデロに向かった」

 

 後ろ盾を失ったヒラノ

 

 デサグアデロは、ラ・パスの西、110キロほど、チチカカ湖に面した小さな街だ。

 

「ぼくも一緒に車に乗った。バラックは、クラブの中では多くの不正が行われていると静かな口調で言った。夜になってから私たちはデサグアデロから“バルカサ”(はしけ船)に乗った。湖を渡ってペルー側で彼を下ろして、ぼくはデサグアデロに戻った」

 

 ぼくのジャーナリスト人生の中でも忘れられない体験だったと、カマチョは言う。

 

 バラックに掛けられた嫌疑は濡れ衣であったことは後に判明する。彼がボリビアに戻り、ボリビア代表をワールドカップ出場に導く才能を発掘し、磨くことになるのはその後の話だ。

 

 さて、さて——。

 

 ヒラノにとって、バラックは自分をクラブに誘ってくれた恩人でもある。その後ろ盾を失うことになった。幸いだったのは、すでにヒラノはクラブ内での信頼を勝ちとっていたことだ。

 

 ワールドカップ終了後の9月、リベルタドーレス杯が再開した。準決勝はグループステージを勝ち抜いた6クラブが2つに分かれるリーグ戦方式で行われた。それぞれ首位が決勝に進出する。

 

 クラブ史上初めてグループリーグを勝ち抜いたヒラノの所属するボリビアのクルービ・ボリーバルは、コロンビアのアメリカ・デ・カリ、パラグアイのクルービ・オリンピアと同組に入った。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)

代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。

 

 

 

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