「これは僕の人生観なんだけどな」。根本陸夫はギロッと目をむき、未熟なインタビュアーの表情が強張っていると見るや、一転、険しい視線を解いて諭すように言った。「人間、墓場には何も持っていくことができない。だったら次々と高い次元を目指して挑戦していった方が、どれだけ楽しいか。死ぬ前に“オレの人生も悪くなかった”と思えれば、もうそれで十分だよ」
 以上は四半世紀前の1コマ。日本球界初のGMとして知られる根本は義の人であり、情の人でもあった。地下茎のように張り巡らした人脈が剛腕を支えた。“人たらし”と言って悪ければ人心掌握の名人だった。

 そんな根本を「オヤジ」と慕う人物がゴルフ界にもいる。池田勇太や松山英樹らを育てた東北福祉大学ゴルフ部監督の阿部靖彦だ。

 野球部出身の阿部は学生時代に、早くも根本の知遇を得る。大学1年の冬に髄膜炎を患い、野球を断念した阿部は学生コーチや寮長など、いわゆる裏方としてチームを支えていた。2人を引き合せたのは根本と親交のある野球部部長の大竹榮だった。振り返って、阿部は語る。「ウチの野球部は貧乏でボールもなかった。それで根本さんに頼んでボールをもらいにいくんです。西武の2軍が盛岡にいると聞けば盛岡に、山形にいると聞けば山形に……」

 大竹は根本と酒席をともにする際、必ず阿部を同席させた。根本も書生のように阿部をかわいがった。ただし、注文をつけることも忘れなかった。「必ずテープレコーダーを持ってこい」。根本は阿部に何を命じたのか。「僕の仕事は根本さんと他の面談者の会話を録音し、それをノートに書き写すこと。人の記憶はいい加減だから、後で思い出すのは難しい。大事な話は必ず書きとめろ。それが将来、オマエの財産になる。それが根本さんの教えでした」

 根本の薫陶を受けた阿部もまた私の目には凄腕の“人たらし”に映る。池田と松山の勧誘にあたっては、彼らのハートをピンポイントで射抜くキラーメッセージを送っている。ゴルファーとしての実績に乏しい阿部だが、言わずもがな今では斯界きっての名伯楽だ。

「金を残す人生は下。事業を残す人生は中。人を残す人生は上」とは後藤新平の言葉だが、根本の弟子は球界内外に多士済々である。人生にもバランスシートがあるのなら没後の育成人材も資産の部に加えるべきかもしれない。書くのが遅くなったが、先週の火曜日が故人14回目の命日だった。

<この原稿は13年5月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから