2000本安打&1000打点を達成した選手は、過去に28人しかいない。キャッチャーでは野村克也と古田敦也だけだ。
 3人目の快挙にリーチをかけているのが中日の谷繁元信だ。激務に耐えながら、こつこつと記録を積み重ねてきた。

 あの辛口で鳴るノムさんが「セ・リーグで一番いいキャッチャーは谷繁。彼は横浜と中日で6回も日本シリーズを経験している。キャッチャーの成長は、日本シリーズをどれだけ経験したかで決まるんです」と絶賛していた。

 その谷繁に「キャッチャーに一番求められる要素は?」と問うと「体の強さ」という言葉が返ってきた。
 ケガの多いポジションゆえ、あそこが痛い、ここが痛いと言って休んでいたら仕事にならない。ピッチャーの信頼も得られない。

 そこで谷繁の記録を調べてみると、1996年から昨季まで17年連続で100試合以上に出場しているのだ。
「無事是名馬也」とは、谷繁のためにあるような言葉だ。

 体も強いが、気持ちも強い。自他ともに認める負けず嫌い。若い頃から、そうだった。
 横浜でレギュラーを獲ったばかりの頃だ。試合終盤になるとベンチに下げられた。クローザー佐々木主浩の信頼を得ることができなかったのだ。
 その頃、横浜には秋元宏作というキャッチャーがおり、捕球技術には定評があった。

 ある日、意を決して谷繁は佐々木に訊ねた。
「なんで俺じゃダメなんですか?」
「オマエより秋元の方がオレは安心して投げられるんだよ」

 佐々木のウイニングショットはフォークボール。ワンバウンドになっても必死で止める秋元の姿勢を佐々木は買っていたのだ。
「じゃあ全部止めれば使ってくれるんですか?」
「そうだ」

 その日以来、谷繁はワンバウンドの捕球練習に明け暮れた。気が付くと100個入りのボールケース2個がカラになっていた。
 谷繁はここまでして佐々木の信頼を掴み、98年の日本一に貢献。自身初のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝くのである。

 キャッチャーほど経験が重視されるポジションはない。若い頃は年季奉公のようなものだ。
「今の若い選手は負けても悔しさを表さない。ちょっと物足りなさを感じます」
 自らを「昭和の男」と呼ぶ谷繁。遠からず、どこかの指揮を執る時がくるだろう。

<この原稿は2013年5月24日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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