4年前、日本卓球(ニッタク)のラバー開発・提供が、ある男子選手の復活を後押しした。選手の名は張一博。中国・上海出身で、高校時代に来日し、2008年に日本国籍を取得している。日本代表として世界選手権にも出場するなど、日本男子卓球界を牽引する選手のひとりだ。張が08年に帰化したのは、日本代表になりたいという強い思いがあったからだ。だが、彼はその頃、ある課題にぶつかっていた。それがラバーだった。
(写真:08年に帰化し、翌年には日本代表初選出を果たした張選手)
 ラケットのブレード部分に貼るラバーはゴム状のシートと、下地となっているスポンジからなっている。シートの形状やスポンジの厚さ、硬さの違いによって、打球感やスピード、コントロール性などが異なり、選手のプレーに大きく影響する。そのため、選手にとっては自らのプレースタイルに適したラバーを見つけることが実力発揮の条件のひとつであり、またメーカー側は選手の要望に叶うラバーの開発・企画に余念がない。

 企画開発部の松井潤一課長は、次のようにラバーの構造について説明してくれた。
「例えば、表面が凸凹している表ラバーを使うと、無回転に近いボールが出しやすくなりますし、逆に平らになっている裏ソフトラバーを使うと、ボールに回転をかけやすくなるんです。さらにスポンジの硬さも選手によって好みが分かれます。同じラケットを使っている選手でも『フォア側は硬めにして欲しい』という選手もいれば『バックを軟らかめにして欲しい』という選手もいる。また、同じ選手でも技術力やパワーがアップすれば、プレーの質も異なってくる。そうすると、求められるラバーの硬さもかわってくるんです」

 飛躍の一助を担った新ラバー

 松井課長がラバー開発で印象深く記憶に残っているのが、張が日本代表に選出された時のことだという。上海から青森山田高校に留学した張は、青森短期大学を経て、日本代表を目指すため08年に帰化した。しかし、その年の世界選手権日本代表選考会で新しい検査ルールが適用され、それまで愛用していた用具の使用が難しくなってしまったのだ。実力を発揮できぬまま、張にとって初めて日本代表を目指した選考会は終わった。同時にそこから新たに自分に合う用具を見つけ出さなければならなくなった。

「選考会後の張選手は非常にショックを受けていました。代表になるために苦労して帰化して、その選考会に賭けていましたからね。『これからどうしたらいいんだろう』というところまで落ち込んでいました。そんな中でラバーを含めて、一から新しい用具を開発しようということで、張選手と一緒に試行錯誤の日々が始まったんです」(松井課長)

 苦境を乗り越え、張とニッタクが共同開発したのがラバー「レナノスホールド」だ。硬めのシートとスポンジが搭載され、シート表面の引っ掛かりが強く、高い回転力と反発力を実現した高スピンラバーである。そのラバーを貼った新ラケットで、張は09年12月、翌年の世界選手権の団体戦日本代表選考会に臨み、見事に優勝。たった1枠限りという狭き門をくぐり抜け、張は1年越しに念願の日本代表の座を射止めたのだ。

「おかげさまで日本代表になることができました」
 ニッタクの開発者たちに張から寄せられた感謝の言葉を、松井課長は次のような気持ちで聞いていたという。
「前年、張選手は帰化や新ルールのことで、本当に大変な思いをしていました。そんな中で共同開発したラバーを使っての優勝でしたから、私たちも本当に嬉しかったんです。新ラバーを開発した喜びというよりも、選手にとってプラスとなる用具開発をすることができて良かったと、ホッとする気持ちでしたね」

 翌10年、張はさらなる躍進を遂げた。1月の全日本選手権男子シングルスではベスト4進出。6回戦では北京五輪代表(後にロンドン五輪代表)の岸川聖也に4−3で競り勝つと、準決勝では日本のエース水谷隼に逆転負けを喫するも、あと2点で勝利というところまで迫り、水谷の4連覇を脅かした。日本代表デビューとなった5月の世界選手権団体戦で銅メダルを獲得。さらに同年のUAEワールドチームカップクラシックでは、当時から世界ランキング1位に君臨していた馬龍(中国)を破る大金星を挙げたのだ。

「私たちにとって選手フォローをするということは、重要な役割のひとつです。ひとり一人のニーズに応えていくことは、確かに苦労も多い。でも、それが私たちのやりがいにもつながっているんです」
 張との共同開発は、松井課長が開発者としてのやりがいを改めて感じられた出来事だった。

 考え抜くことがステップアップに

(写真:「その時の精一杯が次につながる」と松井課長)
 オリンピックや世界選手権など、世界のトップ選手たちが集う舞台は、選手が力を競う場である一方で、用具メーカーにとっては各自の技術をアピールする最大のチャンスでもある。そんな中、ニッタクの開発者に大きな自信を与えたのは、やはり昨年のロンドン五輪での女子団体銀メダルだ。ニッタクとパートナー契約を結ぶ石川佳純は若きエースとしてシングルス、ダブルスともに出場し、日本史上初のメダル獲得に大きく貢献したことは、ニッタクにとっても嬉しいニュースだった。

 ロンドン帰国後、石川がニッタクを訪れ、メダル獲得の報告をした際、石川にメダルを持たせてもらったという松井は、「思ったより重かったですね」と感慨深そうに語った。
「ずっしりとしていて、重みを感じましたね。石川選手から『ありがとうございました』という言葉をいただいたのですが、逆にこちらがお礼を言いたいくらいでしたよ。日本卓球界にとって初めてのメダルを獲った五輪で、ニッタクの用具が使用されたというのは、やっぱり嬉しいですね。弊社としても何かしらのフォローができたのかな、と」

 松井課長が開発者として心掛けているのは、「とにかく一生懸命考えること」だという。
「今振り返ると、過去に考えたことが土台となって、一歩一歩進んできたんだなと。つまり、その時その時で精一杯力を出し切ることこそが、次へのステップアップにつながってきたんだと思うんです。考え抜いた結果であれば、自分自身も納得することができる。だからこそ、次に生かされていくと思うんです」

 アスリートの活躍の裏には、必ず職人たちの優れた技と強い思いがある。近年の日本卓球界の目覚ましい躍進は、日本卓球メーカーの努力なくしては語ることはできない。そのひとつがニッタクであることは言を俟たない。ニッタクの挑戦はこれからも続く。

(おわり)

(文・写真/斎藤寿子)
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