昨年の五月場所で賜杯にあと一歩まで迫った栃煌山雄一郎だが、周囲の期待に応えられなかった自分を責めていた。だからこそ続く七月場所は、その雪辱を果たす機会となるはずだった。だが、旭天鵬には上手出し投げで勝利し、先場所の借りを返したものの、15日間を終えての結果は4勝11敗の惨敗だった。
「名古屋での大負けは悔しかった。“優勝決定戦までいったのは、番付が下だったから”という雰囲気にもなりますしね。もっと精神的にも強くならないとダメだと思いました」
 惜敗と大敗。栃煌山は2つの負けを自らの成長の肥やしとし、大輪の花を咲かせようとしていた。


 座布団の雨を降らせた初白星

 九月場所、栃煌山の番付は自己最高位の関脇から東前頭5枚目に下がった。前半戦は6勝2敗、まずまずの出だしだった。しかし、9日目に3敗目を喫し、優勝争いに加わるには厳しい星数となった。そして10日目の相手は横綱白鵬。この日までの対戦成績は14戦全敗と、全く歯が立っていなかった。しかも白鵬は土つかずの9連勝中と勢いに乗っていた。通常、前頭5枚目の力士に横綱戦が組まれることはない。だが、この場所は3大関が休場する異常事態だった。これを絶体絶命の危機だととらえるか、千載一遇の好機ととらえるか――。栃煌山は後者だったのだろう。

 結びの一番に登場した栃煌山。白鵬との一番には、27本もの懸賞がかけられた。「あの時はすごく落ち着いていて、いつもの自分じゃない感じでした」。立ち合いは互いに正面からぶつかり合った。相手がさらに踏み込んできたのに対し、栃煌山は左に回り込みながら、引いた。バランスを崩した白鵬は両手をバッタリ地面につけた。はたき込みで、軍配は栃煌山。横綱戦18度目にして、ついに初の金星を獲得した。

「頭がパーッと真っ白になった。そんなことは生まれて初めてだったかもしれないです」。平幕が横綱を破る大番狂わせに、会場の両国国技館では多くの座布団が舞った。勝利の余韻を噛みしめながら、栃煌山はその様子を土俵上で眺めていた。懸賞の束を受け取る際には、1枚の座布団が彼の頭に直撃したが、興奮していたこともあり全く気にならなかった。まるで別世界にいるような、そんな気さえしたという。

 初の金星、そして苦汁を舐めさせられてきた相手に初白星。勝利の味は格別なものだった。しかし、栃煌山は決して満足はしていない。
「内容的には全然です。勝つには勝ったんですが、横綱に攻め込まれて、タイミングよくパンと決まっただけなので、自信がつくような内容ではありませんでした。次はしっかりと押して、前に出て勝てるようにしたいです。そうなれば自信もさらにつくと思います」

 九月場所は9勝6敗で終え、殊勲賞に輝いた。だが、ここから先が栃煌山の課題だった。幕内に昇進して以降、勝ち越しは2場所連続が最高で3場所以上続けてはなかった。番付が上にいけばいくほど、対戦相手は上位の力士となる。そこで安定した成績を残すことができなかったのだ。特に横綱、大関戦で勝てず、2007年三月場所の新入幕以降、この場所まで25勝59敗と大きく負け越していた。格上と言ってしまえばそれまでだが、勝負の世界に足を踏み入れた以上、相手が誰であろうと負けて仕方ないというわけにはいかない。

  苦手意識を払拭した大関キラー

 栃煌山は前頭筆頭まで番付を上げ、十一月場所を迎えた。福岡の地での九州場所。それまでとは違う精神状態で臨んでいた。「いつもは“絶対勝ちたい”という気持ちでやっていたんです。もちろん、それも大事なのですが、さらに“今日はこれをやろう、あれをやろう”と考えるようになったら、すごく相撲がよくなってきた。そこから結構勝ちにつながるようになってきましたね」

 2日目の白鵬、3日目の日馬富士の横綱戦は連敗を喫したものの、琴奨菊、鶴竜、琴欧洲の3大関を撃破した。この場所は5日目から8連勝(不戦勝を含む)するなど、10勝5敗で先場所に続いての勝ち越し。翌年の一月場所で5場所ぶりの三役に返り咲いた。

 今年最初の本場所でも8勝7敗と勝ち越した。東小結の栃煌山は、この場所でも3大関に土をつけた。「三役に上がっても、いつも勝ちが続かなかった。それまでは“三役から落ちたくない”という気持ちがあったのですが、それを“落ちたくない”ではなく、“上にあがりたい”と思うようになってから、変わりました。相撲をとっていても、“やるべきことを全部やろう”と、集中できるようになってきたんです」

 稽古場のように気張らず本場所で相撲をとることを心掛けた。それまでは勝ちを意識し過ぎるあまり、知らず知らずのうちに守りに入っていた。相撲同様、持ち味である“攻め”の姿勢が失われていたのだ。「“稽古場通りの相撲” を場所でも、しっかりとらないとダメだ」。ここにきてようやく春日野親方(元関脇・栃乃和歌)に言われてきたことが実践できるようになってきた。

 つづく三月場所では東小結では4大関を倒した。大関を総なめし、3場所連続で3大関以上に勝利する快挙だった。2場所ぶりに10勝(5敗)を挙げ、昇進も期待された。しかし、豪栄道と把瑠都の両関脇が勝ち越したため、小結に据え置かれ、番付運に恵まれなかったかたちとなった。ただ3場所で横綱戦こそ白星を掴めなかったものの、大関戦は10勝2敗と勝率8割を超えた。かつての上位に屈する姿はもうそこにはなく、“大関キラー”との呼び声も高まっていた。4場所連続の勝ち越しは、幕内になってからは自己最高。さらに三役で2場所続けて勝ち越したことも初めてだった。

 足踏みの夏場所

 栃煌山は完全にその才能を開花させたかに見えた。しかし、ここで足踏みを強いられる。五月場所初日の白鵬戦では、相手を土俵際に追い込みながら逆転を食った。
「立ち合いで当たり負けている分、最後は攻めきれなかったのかもしれない。でも、前は全く勝てなくて、相撲すらとらせてもらえなかったのですが、最近はだいぶ勝負できるようになってきました」

 負けはしたが手応えも感じ取っていた。ただ初日から4連敗。内容は悪くないが勝てない日が続いた。師匠の春日野親方はこう指摘する。「勝負、勝負でやっているんだから、負ける時もあるさ。ただ勝負どころがあってね。“今日は負けられない”。もちろん、毎日そう思っているけど、後から振り返って、“あそこで負けていなければ”というポイントがある。それを先に感づかないとダメだな」

 5日目、日馬富士に勝利し、ようやく初日が出る。自身横綱戦2勝目は立ち合いから攻め込まれたが、粘って肩すかしで勝ち名乗りを上げた。つづく把瑠都戦にも勝利した。しかし7日目から連敗を喫し、結局、波に乗れぬまま6勝9敗で場所を終えた。3場所守り続けた三役の座からも陥落してしまう。振り返って、栃煌山は語る。

「手応え自体はすごくあって、“やれる”という自信はありました。ただ、何かがひとつ足らない感じだったんです。出足、立ち上がりからどんどん攻めて、いい相撲がとれていたのですが、勝ち急いだりして、あと一歩という相撲が多かった。もったいないというか、上位陣を相手にしてそういう相撲をとっていてはダメですからね。焦りやプレッシャーは全然なかった。でも体は動いていたのに、土俵際で攻め切れなかったり、いい相撲とっていたのに勝てなかったのは、どこかに甘さがあるのかなと思います」

 巻き返しの名古屋場所

 つづく七月場所での巻き返しを誓った栃煌山だが、不安を抱えての名古屋入りだった。腰と左足を痛め、場所前の稽古を十分にできなかったのだ。

 初日の鶴竜戦は「硬かった」と語った栃煌山だが、しっかりと踏み込んだ立ち合いから、終始攻め続け、最後は寄り切った。2日目を落とし、3日目の一番は大関稀勢の里。相手は、この名古屋場所に綱とりが懸かっていた。栃煌山は名古屋入り後、稀勢の里が出稽古に来た際には、11勝7敗と勝ち越した。「自信になりましたし、(本場所でも)自分の相撲をとれれば勝てるだろうと」。気負いが見られる同学年の大関に対し、精神面でも分があった。栃煌山の差しを嫌がる稀勢の里は、防戦一方だった。栃煌山は相手の頭が下がったところを左に開いて突き落とした。初日同様、先手先手と仕掛け続けた結果の勝利だった。

 2勝1敗で迎えた4日目は白鵬戦。先場所の反省を生かし、立ち合いからしっかり当たっていこうと決めていた。しかし、その気持ちを横綱はすっかり見抜いていた。立ち上がり白鵬は左に動いて、栃煌山の右手を両手で抱えた。そのまま流れるように捻り倒しにかかる。次の瞬間、栃煌山は土俵上に転がされた。三月場所のVTRを見るかのような“とったり”で敗れ、「自分の注意力が足らなかった」と、栃煌山は唇を噛んだ。

 5日目、6日目で勝った負けたを繰り返し、3勝3敗。2横綱3大関と上位陣が相手だったとはいえ、決して満足できるものではなかった。振り返れば、“負けに不思議の負けなし”との印象が残った。3つの黒星すべて立ち合いが悪かった。2日目の琴欧洲戦、6日目の日馬富士戦は、相手の変化を警戒するあまり、踏み込みが甘かったという。さらに白鵬戦では腰が入っていないために変化に対応できなかったのだ。6日目を終えて、栃煌山は「中途半端な相撲はやめよう」と決意。しっかり踏み込むことと、腰を入れることを意識して、7日目以降を取り組んだ。

 すると、そこから一気に5連勝して勝ち越しを決める。特に10日目と11日目は、立ち合いをしっかり当たっていったことで、琴奨菊の寄り、松鳳山の突きにも粘ることができた。土俵際まで追い込まれたが「その分、残せた」と、しっかりと勝ちを呼び込んだ。12日目、13日目の豪栄道、妙義龍の同学年対決にはいずれも自滅して連敗。それでも残り2日を白星で締め、10勝5敗で名古屋場所を終えた。

 不器用な男が相撲界の頂点へ

 大関からは3勝し、2場所ぶりの2ケタ勝利だったが、「自分らしい内容の相撲が少なかった」と納得はしていない。栃煌山の視線はさらに高い位置に向けられている。「今場所の10勝は充実感がなかった。(大関に勝つことも)今は特別なことではないですから」という。それは“もっと勝てる”“もっと上の番付へ”という意識の表れだろう。来場所は小結復帰が濃厚だが、大相撲の頂点である横綱を目指す以上は、今後も“待ったなし”で勝ち星を積み上げていかねばならない。

 そのためには何が必要か。栃煌山自身はこうとらえている。「もっと立ち合いの当たりを強くすること。強く、速く当たれるようにしたいです。あとは下がった時にあっさり負けることがあるので、そういう時でも自分の型に持って行けるような臨機応変さですね。基本は先手かけて、自分から自分からとペースを作っていけるような相撲をとっていきたいです」

 師匠の春日野親方の意見も得意の押し相撲を磨くことだという。「今がたとえば10出しているのであれば、それを11、12にしないといけない。今から相撲を変える必要はない」。そして、こう注文もつけた。「やっぱりやっている本人が100%納得いく相撲っていうのは、なかなかとれない。人形を相手にするわけではなく毎回、相手は変わってくるんだから。ただもっと高みを狙うのであれば、悪い時でも、勝ちに結び付けられないとダメだよね」

 不器用だが、真っすぐな相撲と人柄にファンの人気も厚い栃煌山には、周囲から大関、横綱昇進への期待も少なくない。彼自身も頂点に立つことへの渇望がある。そして将来の理想像を「自分の相撲を見て、応援したくなるような、目標として尊敬されるような力士になりたい」と描いている。これからも自らの相撲道を愚直に突き進む――。その道を極めた時、角界で煌めく存在に彼はなっているはずだ。

(おわり)
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栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)プロフィール>
1987年3月9日、高知県安芸市生まれ。本名:影山雄一郎。小学校2年で相撲をはじめ、安芸中学校に進学し、3年時には全国大会を制覇した。中学生横綱となり、卒業後の明徳義塾高校では世界ジュニア選手権重量級を制するなど個人4冠を達成し、05年に春日野部屋に入門。05年一月場所で初土俵を踏むと、2年間、一度も負け越すことなく番付を上げた。07年三月場所新入幕、その場所で11勝をあげ、敢闘賞に輝いた。10年の九月場所で自己最高位の関脇に昇進。12年の五月場所では12勝3敗の好成績を収める。優勝決定戦で旭天鵬に敗れ、賜杯にはあと一歩届かなかったが、2度目の敢闘賞を獲得した。同年の九月場所では横綱・白鵬を破り、初金星。東前頭2枚目。通算成績は370勝299敗9休。三段目優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星1個。

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(杉浦泰介)


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