ボクシング界のレジェンドであるマイク・タイソンはこの8月、薬物とアルコール依存であることを告白した。タイソンは1986年、WBC世界ヘビー級の史上最年少王者となったのを皮切りに、WBA、IBFと3団体統一の世界チャンピオンになった。しかし、90年にデビューからの連勝が37で止まると、その後は度重なる逮捕、耳噛み事件などリング外で世間を騒がせた。タイソンの凋落はどこから始まったのか、19年前の原稿で振り返ろう。
<この原稿は1994年発行の『勝ち方の美学』(講談社)に掲載されたものです>

 ボクシングが、スポーツであるとすれば、それは、あらゆるスポーツの中で、最も悲劇的なスポーツだ。なぜならば、いかなる人間の行為にもまして、ボクシングは、それが誇示してみせる卓越性を消耗してしまうからだ――ボクシングのドラマとは、この消耗してゆく過程そのものに他ならない。
(『オン・ボクシング』ジョイス・キャロル・オーツ著、北代美和子訳より)

 第10ラウンド1分過ぎ、左ジャブで活路を開いたチャレンジャーのジェームス・バスター・ダグラスが鋭利な刃物のような右アッパーを突き上げると、マイク・タイソンの太さ20インチの首は後方に無惨にもねじれ上がり、続けざま左右フックの4連打で追い打ちをかけると“アンディスピューティッド(異議のない)・チャンピオン”は白目を剥いて腰からキャンバスに崩れ落ちた。

 プロデビュー5年目にして喫した初めてのダウン――。倒れてなおキャンバスに転がったマウスピースを口に戻し、四つんばいになりながらも、潰れかけた目で敵を必死に探そうとする王者の姿は、哀れを通り越してもの悲しさすら漂わせていた。

 試合直前のラスベガスのブックショップ(賭け屋)の賭け率はタイソン1に対しダグラス45。晩年のモハメド・アリが当時不敗を誇っていたジョージ・フォアマンを倒し、世界中を驚かせた“キンシャサの奇跡”ですらアリの3対1だったことを思えば、大番狂わせの起きる可能性は、少なくとも賭け率の上からは露ほどにもなかった。

 しかし、奇跡は起こった。あえていえば、起こるべくして起こった。今にして思えば、むしろ最初の“チーム・タイソン”(タイソンを支えたスタッフ)が崩壊してから2つも白星を積み重ねたことのほうが、奇跡と呼ぶにはふさわしい出来事だったかもしれない。

 早過ぎる神話の崩壊の謎を解くためには、彼の出生にまで遡る必要があるだろう。

 マイケル・ジェラルド・タイソンは1966年6月30日、ニューヨーク州ブルックリンのダウンタウンで生まれた。物心つく前に両親は離別し、それが原因で彼は自閉症に近い幼年期を送った。今でも、甘えたような独特のイントネーションにその名残りを見ることができる。

 しかし、環境は少年を変える。自分が宝物のようにかわいがっていた鳩のくびを引きちぎった悪童に殴りかかったところ、相手はひれ伏して謝り、初めて己の腕力を自覚するにいたる。このケンカを機にタイソンは不良少年への坂道を転がり落ち、やがてニューヨーク州ジョンズタウンにある感化院「トライオン・スクール」に送られることになった。さらには、教化不可児ばかりを収容するエルムウッド・コテッジに移される。

 ここでタイソンはボビー・スチュワートという体育教官と出会う。スチュワートはアマ・ボクシングの強豪で、卓越したテクニックの持ち主だった。
 タイソンはスチュワートのもとを訪ね「オレにも教えてくれよ」とせがんだ。スチュワートは「ケンカの道具にでもされたらたまらない」と二の足を踏んだが、ついにはその熱意に折れざるをえなかった。

 サンドバッグを打たせ、マス・ボクシングをやらせてみる。ボクシングに目ざめた95キロの少年のパンチは、しばしばミットを持つスチュワートの手をしびれさせた。

「この少年を再びストリートに戻してしまうととんでもないことが起きるだろう。しかしボクサーとして育てることができれば、新しい時代の幕開きに遭遇することができるかもしれない」
 そう考えたスチュワートは、キャッツキルの丘に住むかつての師であるイタリア系老人に連絡をとり、タイソンと引き合わせる。老人はタイソンのスパーリングを一目見るや、スチュワートに向かってつぶやいた。

「この子はいつの日にか世界ヘビー級チャンピオンになるだろう。もしボーイにやる気があるのならね」

 この老人こそ、過去にフロイド・パターソン、ホセ・トーレスといったチャンピオンを育てた名伯楽――カス・ダマトである。ダマトは家主であるカミール・イワルド夫人の白い家にタイソンを引きとり、広い個室まで用意して温かい愛情を注いだ。

 ダマトの弟ロッコの妻にあたるイワルド夫人はこう語っている。
「カスがマイクと出会ったとき、マイクはまだ12歳の少年でした。お母さんが病気でなくなったあとは私が母代わりでした。最初のころだけは私のことを“カミール”と呼んでいたけれど、あとは“マザーと呼んでいいですか?”と言ってくれました」

 ダマトはタイソンを養子にし、法律上の父親となる。ダマトのタイソンへの愛情は、すでにこの時点にして尋常一様ではない。

 ダマトについてタイソンはこう語っている。
「カスはオレにとってオヤジ以上の存在だった。誰でもオヤジになることはできるが、しかし、それは血がつながっているという話だろう。カスはオレのバックボーンであり、初めて出会った心の許せる人間だった」

(中編へつづく)
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