今月8日、2020年オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決定しました。その日、早起きをしてアルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたIOC総会の投票結果を固唾を呑んで見守っていた人も少なくなかったはずです。私も、ジャック・ロゲIOC会長の「トウキョウ」の声を聞いた瞬間を、今でもはっきりと覚えています。
 7年後、世界最大のスポーツの祭典が日本の東京で行なわれる――。多くの人が自分の年齢に7を足して、「○歳かぁ。その頃には……」と想像をたくましくしたことでしょう。こんなに同時に人々が自分の未来について考え、その自分が住む未来の社会について思いを馳せる。そして、将来の社会のあるべき姿に思いを巡らせる。開催が決定しただけでこのように人の心を未来に向けて動かすオリンピック・パラリンピックに、改めて偉大な力を感じずにはいられません。

 さて、7年後、日本はどのようなオリンピック・パラリンピックを世界に見せるのでしょうか。私は、オリンピックの開催に何の不安もありません。日本、そして東京は、十分にその力があるからです。しかし、パラリンピックはどうでしょう。現状では一般の人たちの理解・興味は、オリンピックには及びません。これからの7年間で、すべきことはここにあると考えています。さらにオリンピック・パラリンピックは決してゴールではありません。より良い社会をつくるスタートです。それができてこそ、真の「平和の祭典」となるのです。パラリンピックを含めた、日本らしい、そして日本にしかできない「2020東京」の開催をしっかり準備していく必要があります。

 ユニバーサル社会への布石

 私は、日本らしいオリンピック・パラリンピックのキーワードは、人種、性別、年齢、障害の有無などを問わないユニバーサル社会の実現であると考えています。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。今、考えられることを3つ挙げます。一つ目は超高齢社会への仕組みづくりです。周知の通り、日本は超高齢社会です。実は、そこにパラリンピックの成功のカギが潜んでいるのです。1992年バルセロナ大会からパラリンピックに6大会連続で出場し、金5、銀9、銅7の計21個ものメダルを獲得している競泳の河合純一選手。全盲の彼が以前、こんなことを言っていました。

「誰だって年を取れば、目も悪くなるし、体のいろいろなところにガタがくる。そう思えば、僕たち障害者を“人生の先輩”と思ってもらってもいいんじゃないかな。自分たちが高齢者になった時に僕たちと同じような状況になるかもしれない。だから既にそれを経験している僕たちの意見を聞いてもらえたら、高齢者にも住みやすい社会ができるんじゃないかと思うんです」

 つまり、多くのパラリンピアンや、国内外から観戦に訪れた障害のある人が長期間快適に過ごすことができるまちづくりは、ひいては私たちが直面している超高齢社会のまちづくりに直接つながるということです障害のある人が暮らしやすい日本を見て、高齢になったら、日本で豊かに暮らしたい、と世界中の人に思わせる社会をつくることができるのです。

 2つ目はパラリンピックチケット230万枚の完売と、会場を観客で満員にすることです。パラリンピックのチケットはオリンピックより少し低い価格設定になります。しかし、これまで国際大会を含む国内で行われた障害者スポーツの大会はすべて無料で行われてきました。それでも、会場はいずれも閑散としているのが現状です。開催の目的に「広く多くの人に見てもらう」というミッションがない場合も多く、単純に比較はできないのも事実です。であればこそ、これまでの大会を開催する延長で変革を行おうとしても、目標には到達できません。これまでとは全く違う事業として取り組む必要があります。オリンピック・パラリンピックがひとつの組織委員会で運営されることで、これは実現できると考えます。

 3つめは地域のスポーツコミュニティの実現です。今回の招致に貢献された元文部科学副大臣の鈴木寛氏はこうおっしゃっています。
「東京開催で何を残すのか。障害のある人ない人、子ども、高齢者というすべての人がスポーツで一つになるコミュニティを各地につくり、そのネットワークができること。50年経ったとき、すべての人がスポーツコミュニティに入っているのが当たり前になっていて、『このコミュニティはいつからできていたんだろう、と調べてみたら、なぜか2013年から2020年の間に出来上がっていた』というムーブメントを起こしたい」。

 現在、全国に総合型地域スポーツクラブは3000余りあります。そのうち、障害のある人が1回以上参加したことがあるクラブは40%です。そのうちの70%は、一般のプログラムに障害者が参加したことがある、としています。例えば、このクラブを活用して、広げていくことも可能です。一般のプログラムに障害者も参加する、のではなく、もともと障害の有無に関わらず参加するプログラムを用意していくのです。そうしていくうちに、すべての人が好きなスポーツをすることができる社会が実現します。

 このように考えると、2020年のオリンピック・パラリンピック開催は、スポーツを取り巻く環境、そしてそれだけでなく社会のあり方そのものを大きく変える絶好の機会をもたらしたと言えます。この時代に立ち会えたことを幸せに思うとともに、自分のこととして行動もしていこうと考えています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。