モハメド ・アリのアゴを砕いた男――。元ボクシングWBC世界ヘビー級王者ケン・ノートンがさる9月 18日、療養先の施設で死去した。まだ70歳だった。
 ノートンが生死をさまようほどの大事故にあったのは引退から5年後の1986年のことだ。運転していた車がフリーウェイのランプを越えて転落、頭蓋骨骨折の大ケガを負った 。ノートンによれば「話せず歩けず、トイレにも行けず、3年間マヒ状態が続いた」。まだ意識の戻らないノートンをアリが病室に訪ねてきた。「見舞いに来てくれたアリに私が反応を示したというんだ」

 ノートンの貴重な肉声がアリを描いたドキュメンタリー映画「フェイシング・アリ」の中に残っている。事故の影響で足が不自由なノートンは杖をついたまま、ドスのきいた声でアリとの思い出を振り返る。そして、ひとつの真実が明かされる――。

 ノートンがアリと初めて対戦したのは73年3月31日、北米ボクシング連盟(NABF)ヘビー級のタイトルがかかっていた。アリにとってはジョージ・フォアマンを倒して世界ヘビー級王座に返り咲く“キンシャサの奇跡”の前年のことだ。

 フォアマンをして「アリに勝つのは簡単ではない。だがノートンには完敗だった」と言わしめたアップセットは、いかにして起きたのか。実はノートン、アリのクセを完全に読み切っていたのだ。「アリの胸は ジャブを打つ時、必ず収縮するんだ。それを読んでジャブを右手で受け、グローブに触れた瞬間、反撃する。アッパーかジャブだ。毎回うまくいったよ。全部じゃないが8割は成功したね」

 ジョー・フレイジャーのスパーリングパートナーだったノートンは、この試合に全てを賭けていた。自らの浮気が原因で離婚を余儀なくされ、ひとり息子を引き取ったノートンにはカネが必要だった。父親に無心したが断られた。「息子に食い物やいい服を買ってやりたい。まさに人生を賭けた勝負だったんだ」

 ノートンがアリのアゴを砕いたのは2ラウンドとされている。強烈な右ストレートがアリの急所を打ち抜いた。これをノートンは否定する。「あれは(アリ陣営の)でっち上げだ。アゴを砕いたのは最終の12ラウンドだよ」。前半にハンディキャップを負いながら最後まで果敢に戦い抜いた男というストーリーをアリ陣営はつくりたかったのか。今となっては真相は藪の中だ。

<この原稿は13年10月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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