冷凍食品にコンドーム。オリンピックのたびごとに技術革新が行われてきたことは、前回の小欄で述べた。福祉機器や補助器具なしでは成立し得ないパラリンピックとなると、なおさらである。
 楕円形から、おにぎり形へ。おにぎり形から、ひょうたん形へ。ひょうたん形から、もなか形へ――。パラリンピックが開催される4年に1度、かたちを変えているのが競技用車椅子のメインフレームである。速度と強度の追求が飛躍的な技術革新をもたらした。

 パラリンピックの車椅子競技の風景を根こそぎ変えた男がいる。昨年暮れにガンのため他界した石井重行だ。オートバイの販売店を経営し、自身もエンジニアだった石井は35歳の時、新車の二輪を試走中に転倒し、脊髄損傷の大ケガを負う。車椅子生活になって初めて石井は気が付いた。「どれも病人臭くて乗る気がしない。だったらオレがつくってやる!」。程なくして自らが創業した株式会社オーエックスエンジニアリングに車椅子事業部を設置し、95年には車椅子専門メーカーとなった。アトランタ五輪で初参戦以来、これまで104個のメダル獲得に貢献している。

 先のロンドン大会では、陸上競技の中・長距離に出場した一部の選手の車椅子のフレームがアルミからカーボンに変わっていた。もちろんオーエックス社も選手に新技術を提供した。振動を吸収する特性を有する炭素素材のメリットを最大限、利用しようとしたのである。

 マラソンで5位入賞を果たした花岡伸和(現日本身体障害者陸上競技連盟・強化委員会部長)が、その乗り心地を語る。「アルミに比べるとカーボンは車の振動を吸収しやすい。逆に言うと振動が大きいと失速の原因になってしまうんです。ただし、新素材の製品化には時間も費用もかかる。実際、ロンドンでは形状はアルミのまま、素材だけカーボンに代えての出場でした」

 自動車業界にとって、技術革新の最高峰の現場がF1やインディカーなら、車椅子メーカーにとってはパラリンピックである。そこで試されたり培われた技術が福祉用車両に応用されれば、パラリンピックの意義は障害者スポーツの範疇を超える。

 今後は、そうした観点からもパラリンピックを見ていく必要がありそうだ。そして、それは“競技用車椅子の父”とも呼べる石井の遺志でもあるだろう。

<この原稿は13年10月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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