V9がスタートする前、巨人には年間320万円の賞金枠があったそうだ。シーズン終了後、タイトルホルダーに一定の額がボーナスとして支払われた。「シーズン終了後じゃ意味がない。シーズン中に渡してやらんと……」。そう言って賞金制度を大胆に改めたのが、去る10月28日、93歳で他界した川上哲治さんである。
「1シーズンに80勝すると仮定して、(球団に)1勝につき、4万円ずつ使わせてほしいと頼んだんです」。その4万円をどのように分配したのか。そう訊ねると、川上さんの眼鏡の奥が鋭く光った。

「たとえば1対0で勝ったとする。すると投手に1万5千円くらい渡さなきゃいかん。リードした捕手には5千円くらい。1点を取った殊勲の打者には1万円、チャンスをつくった選手とファインプレーをした選手には、それぞれ5千円ずつ。それを翌日のミーティングの場で渡す。決して高い金じゃないけど、選手は自分の働きを認めてもらったことがうれしいんです。“よし、今日もいいプレーをしよう”となる。これに時々、3万円ほど私のポケットマネーを加えました」

 以上は川上さんが69歳の時だから、ほぼ四半世紀前のインタビューで訊いた話だ。劇画「巨人の星」世代の私にとって、川上さんは厳格で恐ろしい人というイメージがあった。おそらく精神論めいた話になるだろうと想像していた。

 しかし、インタビューは実務の話が中心で、まるで中小企業のオーナー経営者のようだった。「バントに賞金をかけたのも私が最初でしょう」。これも初めて耳にする話だった。「ランナーを送った者に対しては3千円、逆に失敗した者からは千円の罰金をとった。同じ4打数1安打でもランナーを二塁に進めた場合と、そうでない場合とでは全然、内容が違う。それを点数制にして査定に反映させた。これも私がやり始めたことですよ」

 インタビュー当時、球界は西武に代表される管理野球が全盛だった。「川上さんが元祖だと言われていますが?」。最後にそう質すと、川上さん、語気を強めて言った。「あれは私の発明品。今じゃ猫も杓子も管理野球。なぜ、あれを叩き壊すような面白い野球を考え出さないのかわからん」。比類なき先見の明と信賞必罰に裏打ちされたフェアな人材活用術。川上さんは野球の枠を超えた昭和の名リーダーのひとりでもあった。合掌。

<この原稿は13年11月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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