東北楽天のドラフト1位ルーキー松井裕樹が背番号1を付けると聞いて、ふと28年前に現役を退いた“元大物ルーキー”のことを思い出した。
 大久保美智男。1978年のドラフトで広島から2位指名を受け、宮城・仙台育英高から入団した。ちなみに65年からスタートしたドラフトで、1度だけ全球団が参加しなかったのがこの年である。巨人がドラフト会議前日、“空白の1日”を利用して江川卓と契約。連盟が選手登録申請を却下したため、巨人が翌日のドラフト会議をボイコットしたのである。
 広島の1位指名はのちに日本ハム入りする社会人ナンバーワン左腕の木田勇。在京球団を志望した木田が入団を拒否したため、その分の期待まで大久保が背負うはめになった。

 身長183センチ、体重90キロ。甲子園でも活躍した“みちのくの剛腕”は鉛のような重いボールが持ち味だった。「鈴木啓示のような大エースになって欲しい」。監督である古葉竹識の願いもあって、球団は大久保に背番号1を授けた。

 これが高卒ルーキーには重荷になった。「当時のカープ投手陣と言えば、江夏豊さん、福士明夫さん、池谷公二郎さん、大野豊さん、山根和夫さん、北別府学さんら、そうそうたる顔ぶれ。先輩たちの視線が気になって練習どころではありませんでした」

 シーズン終了後には「背番号は2ケタの後ろでもいいから、とにかく1番はやめさせてください」と球団に申し出た。3年目からは野手に転向したが、プロの水は甘くなかった。

 結局、1軍での投手成績は6試合に登板し、0勝0敗、防御率3.60。1本の被本塁打は王貞治に打たれたもの。通算866号目。トリビアを紹介すれば、王が記録した868本の通算ホームランの中で、背番号1が背番号1から奪ったのは、この1本だけである。

 過去に背番号1を付けたピッチャーは何人もいるが、球史にその名を刻んだのは先述した317勝投手の鈴木啓示くらいだろう。松井には、ぜひこのジンクスを打ち破ってもらいたい。

「高校時代から背負っていた番号を、プロでも付けられるのは、ある意味幸せなこと。松井君にはプレッシャーをはねとばしてもらいたい」。現在、生まれ故郷の塩釜で機械工具屋を営む元背番号1は、スタジアムで若き背番号1の雄姿を見る日を心待ちにしている。

<この原稿は13年12月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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