「軍師官兵衛」。来年のNHK大河ドラマのタイトルだ。先日、仕事で黒田官兵衛の故郷・姫路に行くと駅に宣伝用の大きなポスターが貼られてあった。大河人気にあやかろうということか。
 豊臣秀吉の軍師として知られる官兵衛には“戦の天才”のイメージがある。生涯50を超す合戦で、一度も負けなかったという“不敗伝説”も残っている。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時には中国地方に出兵中の秀吉に“大返し”の策を授け、秀吉の天下取りに貢献したとも言われている。
 プロ野球の世界にも軍師と呼ばれる人物はたくさんいる。V9巨人を指揮した川上哲治を支えた牧野茂。長嶋茂雄、王貞治、広岡達朗、森祇晶らの下でヘッドコーチなどを歴任した黒江透修。常に星野仙一と行動を共にした島野育夫。近年では落合博満が自らの右腕と頼んだ森繁和の名前が、すぐに思い浮かぶ。

 軍師の条件とは何か。一度、黒江に訊ねたことがある。「まずは大将、つまり監督は絶対的な存在だということを自覚すること。対立なんてもってのほか。戦いの場においては、監督が黒と言えば、白のものでも黒になるんです」

 そして、続けた。「いざ試合となると、失敗の可能性が高かったとしても、監督が2ストライク後にエンドランのサインを出せば、それを成功させなければならない。そのためには、あえてワンバウンドになりそうなボールで練習させたこともあります。選手には“不満があっても監督のサインは絶対だ。最善を尽くしてくれ”と口を酸っぱくして言いました。コーチが監督の采配に不満を持ったり、“オレとは考え方が合わない”とシラけてしまってはチームは成り立たないんです」

 11年ぶりに埼玉西武の監督に復帰した伊原春樹も、有能な軍師として名を成した人物だ。87年の巨人との日本シリーズで、ウォーレン・クロマティのセンターからの緩慢な返球を見抜き、右手をグルグル回して一塁走者の辻発彦に本塁をおとし入れさせたシーンは、今でも語り草だ。

 巨人・川相昌弘ヘッドコーチ、橋上秀樹打撃コーチ、阪神・高代延博内野守備走塁コーチ、北海道日本ハム・白井一幸内野守備走塁コーチ兼作戦担当、オリックス・福良淳一ヘッドコーチも軍師のイメージが強い。権謀術数も手練手管もこの世界では褒め言葉だ。「球界の官兵衛」の座を競ってほしい。

<この原稿は13年11月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから