「天才は卓球界にいっぱいいます。それに僕より努力している人もいっぱいいる。だから僕はどちらの面においても中途半端なんです」
 そう自分を分析するのは、卓球全日本代表の松平健太(早稲田大学)だ。今年5月、フランス・パリで行われた世界卓球選手権大会の男子シングルスで元世界ランク1位の2人を撃破し、ベスト8にまで上りつめた。準々決勝で当時の世界ランク1位に敗れ、日本勢34年ぶりのメダル獲得はならなかったが、「松平健太」の名を世界に轟かせた。大会前は58位だったITTF世界ランキングは現在、自己最高の15位にまで浮上している。
 2006年、15歳で世界ジュニア選手権の男子シングルスを制した松平。 翌年には世界選手権に初出場し、その2年後には世界選手権でベスト16入りを果たした。メディアからは“20年にひとりの逸材”“ワルドナーの再来”とも謳われた。バルセロナ五輪金メダリストの天才的プレーヤーであるヤン・オベ・ワルドナー(スウェーデン)に喩えられるほど、松平の将来は嘱望されていた。

 だが、その後は3歳下の丹羽孝希と組むダブルスでは結果を残していたものの、シングルスではなかなか結果が出なかった。10年の全日本選手権では初戦敗退。目標としていた昨年のロンドン五輪も国内の選考レースで丹羽らに敗れ、4年に1度の檜舞台に立つことはかなわなかった。

 ようやく飛躍の兆しが見え始めたのは、今年1月の全日本選手権だ。丹羽と組んだダブルスでは2年ぶりの優勝を果たした。シングルスでは、準々決勝でロンドン五輪男子シングルス5位の岸川聖也に勝ったものの、準決勝で同代表の丹羽に惜しくも敗れ、昨年に続く3位に終わった。試合後、記者に囲まれながら彼は言った。
「シングルスで勝ちたいと思っているので、3位でもそんなに嬉しくない」
「このまま成長しないとは思っていない。これからの練習で変わってくると思います」
 言葉の端々に松平の負けん気が垣間見えた。

 パリで花開いた才能

 そして4カ月後、パリで松平の快進撃が始まった。男子シングルス2回戦で当たったのは、世界ランク8位のマ・リン(中国)。北京五輪の男子シングルス金メダリストで元世界ランク1位の強豪だ。4年前の横浜での世界選手権では4回戦で当たり、ファイナルゲームの大接戦を演じた。敗れはしたものの、あわや大番狂わせというところまで迫った。

 この日、紛れもなくコートを支配していたのは北京五輪の金メダリストではなく、松平の方だった。58位と8位。ランクは50位も違ったが、得意であるブロックの威力を発揮し、勝負どころでのカウンターが面白いように決まった。

 11−5、11−7、11−4と取り、ゲームカウント3−0とリードした。「やはり出足で3−0にしたのは、すごく大きかったですね。そこで気を抜いたわけではありませんが、(12−14で)1ゲームとられても余裕がありました」

 第5ゲームもブロックとカウンター、そして、もうひとつの武器であるしゃがみ込みサービスで相手を翻弄した。10−7とマッチポイント迎えると、相手のサービスを返し、マ・リンをコート右に寄せた。最後はカウンター一閃。下がりながらのフォアハンドで台の左隅を突いた。ゲームカウント4−1で松平が勝利。その瞬間、彼は応援席に向かって、力強いガッツポーズを作った。

 3回戦で格下の台湾人選手を倒した松平は、4回戦で元世界ランク1位のオールラウンダー、ウラディミル・サムソノフ(ベラルーシ)と対戦した。この試合でも松平のブロック、カウンターは冴え渡ったが、完勝したマ・リン戦とは一転、ラリー戦となった。第1ゲームを3−11で落とし、第2ゲームも5−9と苦しい展開となる。それでも、そこから巻き返し、このゲームを15−13で取った。

「ここで勝敗を分けたかわからないですけど、2ゲーム目で5−9から逆転したのは大きかった。(ゲームカウントを)0−2になると、やはり苦しくなりますからね」
 点を取り合うシーソーゲームが続き、結局ファイナル7ゲーム目までもつれた。6−7からサムソノフにミスが続いて逆転に成功。そのままの勢いで11−8で押し切った。接戦を制した松平は、自己最高のベスト8に進出した。

 日本人34年ぶりのメダルをかけて戦った準々決勝の相手は、キョ・キン(中国)。世界ランク1位のサウスポーに対して、苦手意識はなかった。「彼には勝ったこともありましたし、そんなにやりづらい相手ではなかった。その3カ月前ぐらいにも試合をやっていて、競って負けていたので、行けると思っていました」

 第1ゲームを落としたものの、第2、3と2ゲーム連取して逆転した。これで波に乗るかと思われたが、キョ・キンも意地を見せる。サウスポーから放たれる強打に松平は第4ゲームをデュースの末、12−14で失った。さらに第5、6ゲームも奪われ、ゲームカウント2−4で敗れた。
「2−1とリードして、第4ゲームもデュースまでいったのに、そこを取れなかったのは実力不足。もう少しできたかなという悔いが残りました」

 表彰台には届かなかったが、松平の活躍は、日本でも大きく報じられた。“復活”と見る向きもあったが、全日本男子の倉嶋洋介監督の印象は違った。「これまでの松平には、そこまで世界と戦える力はなかったと、私は解釈しています。ここ数年間で強化してきたフィジカルトレーニングの効果が身に付き、それが結果としてようやく現われたのかなと思います」

 そして倉嶋の目には、半年前からその予兆はあったという。「持ち前の守備技術に加え、攻撃的なプレーが出てきていた。いつ世界ランクがグッと上がってもおかしくないなと思っていました」
 倉嶋の“開花予報”は当たり、花の都パリで、松平の才能は開花したのだった。

 武器は“ブロック”と“サーブ”

 松平のストロングポイントはブロックとサーブにある。
 まずは相手の攻撃を打ち返すブロック。「僕はこう打ったら、こう返ってくるというボールの軌道がわかっている。あとは相手の身体の使い方でコースが分かるので、それで先を予測します」

 ブロック技術に関しては、倉嶋も「回転を読む力が鋭く、ボールがどこに来るか瞬時に察知する能力に長けている。これはセンスに依る部分が大きいんです。世界を見ても、このブロック力とボールに対する反応はトップレベルです」と称賛する。

 ブロックは守備の技術に分類されている。ただ松平は攻撃の意識でブロックを用いている。相手の攻撃を跳ね返し、相手をどんどん動かして揺さぶる。受け身の技術と捉えるのではなく、自分が試合を支配する――。ボクシングで例えるならば、相手に打たせながら、反撃の機会を虎視眈々と狙っているアウトボクサーのようなスタイルだ。

 もうひとつの武器はサーブだ。松平は世界でもあまり多くは見られない“しゃがみ込みサーブ”の使い手だ。その名の通り、ボールをトスした後、台に隠れるぐらいの低い姿勢でボールを切るように打球する。見えづらい位置から繰り出されるボールは、多彩な変化で相手を惑わす。パリの世界選手権ではマ・リンがしゃがみ込みサービスをリターンしようとして、空振りをしたほどだ。

 松平の軸となっているブロック型の戦法は小さい頃に自らが考えたものだ。「元々、ブロックが好きだったんです。これで点数を取れていたので、そのままやっていました」。実はしゃがみ込みサーブも子供の頃に編み出したものだという。大会で使うと、面白いように決まり、今も必殺技のひとつとなっている。

 そんな松平が卓球を始めたのは5歳の時だ。国体選手の父が指導する卓球教室で、2人の兄は既に競技を始めていた。卓球をするのが、当たり前の環境で育ったサラブレッド。石川県にある卓球場で彼の才能は育まれた。ブロック戦術もしゃがみ込みサーブもこの地で生まれたものだった。

(後編につづく)

松平健太(まつだいら・けんた)プロフィール>
1991年4月11日、石川県生まれ。父と2人の兄の影響で5歳から卓球を始め、父の経営する卓球教室で練習を積んだ。中学2年からは親元を離れ、名門・青森山田中学に編入する。3年時には06年世界ジュニア選手権男子シングルスで日本人としては27年ぶりの世界大会優勝を成し遂げた。09年には全日本選手権の男子シングルスで準優勝。その年の世界選手権ではベスト16入りを果たす。今年5月の世界選手権では男子シングルスでベスト8に入り、メダルまであと一歩と迫った。7月のアジア選手権では団体銀メダルに貢献し、個人戦でもシングルスとダブルスでいずれも銅メダルを獲得した。ITTF世界ランキング15位(12月10日現在)。身長169センチ、右シェークドライブ攻撃型。
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