ドラマをつくったのが原田雅彦なら、歴史をつくったのは船木和喜だった―。
 今から16年前の2月、長野冬季五輪の観戦記で、本紙にこう書いた。ノルディックスキー・ジャンプ団体戦。第1ラウンド、3番・原田の姿は白馬の吹雪の中に消えた。わずか79.5メートル。この失速ジャンプで日本は首位から4位に滑り落ちた。その直後に原田の口から飛び出した「屋根ついてないから、しょうがないよね」との言葉ほど、この競技の本質を突いたものはない。
 原田の脳裡にリレハンメルの悪夢が甦った。2位ドイツに55.2ポイントの大差をつけ、日本は史上初の団体金メダルに王手をかけていた。ところがアンカーの原田がテイクオフのタイミングを誤った。無情の97.5メートル。陽気な男は頭を抱え込んだまま、雪上にうずくまった。

 4年後の長野。「また(リレハンメルと)同じ状況が来てしまったのか……」。原田の窮地を救ったのが“トップバッター”の岡部孝信だった。第2ラウンドで137メートルを飛び、首位を奪い返した。2番の斉藤浩哉も続いた。手堅く124メートルを飛び、首位をキープ。「足が折れても飛んでやる」。原田はグレーの空にスキー板の剣先を突き立てた。「着地」というより、「着陸」という表現の方がピタリとくる137メートルの大ジャンプ。野球にたとえればエラー直後の大ホームランだった。

 金メダルへのバトンはアンカーの船木へ。106メートルも飛べば金メダル確実とはいえ、リレハンメルのこともある。船木はホームランを捨て、確実にタイムリーを狙った。抑制のきいたジャンプで125メートル。リレハンメルから続く4年越しの物語。アンカーの重圧に打ち克った船木が日本に金メダルをもたらせた。

 3番・原田、4番・船木。“打順”を決めたのはヘッドコーチの小野学だった。過日、その経緯を原田に訊いた。「リレハンメルのことがあるので、小野さんは僕にプレッシャーをかけたくなかったようです。でも本音ではアンカーで金メダルをとりたいという思いもありましたよ。その方がカッコいいですから」

 もし原田と船木の打順が逆だったら、どうなっていただろう。ドラマは生まれていたのか、歴史は変わっていたのか。もしかすると白馬の女神も人を見て演出を微妙に変えていたかもしれない。

<この原稿は14年1月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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