スピードスケートの500メートルは、文字どおり1000分の1秒を争う究極のタイムレースである。距離にすると1・5センチ程度だ。
 スタートの出遅れは、そのまま致命傷となる。
 1998年長野五輪金メダリスト、02年ソルトレイクシティ五輪銀メダリストの清水宏保ほどスタートにこだわった選手を、私は他に知らない。

「ピストルの音を聞いて反応していたんじゃ遅いんです。僕はスターターがピストルの引き金を引く音を聞き取ってスタートするんだ、という意識でいました。聞くというより、感じ取るといった方が正しいかもしれませんね」

 レース前のトライアルに清水は顔を出さなかった。

「スターターのタイミングに自分が合わせるのはよくないと考えたからです」

 つまり清水は自分のタイミングにスターターを引き込もうとしたのである。こんな心理戦がレース前には展開されていたのである。

「中には“顔も見たくない”というスターターもいましたよ。スタートまでの間があり過ぎて、こちらが先に動いてしまう。そうなればフライングです。特に僕はスタートがいいので“タイミングが早いんじゃないか”と目を付けられていましたから……」

 彼の話を聞いていて思い出したのが王貞治の“伝説”だ。
 抜群の選球眼を誇った王は審判よりもストライク・ボールの判定には自信を持っていたという。

「自分がボールと思って見逃した球を審判がストライクにとった時、僕は“あぁ審判が間違えたな”と思っていましたよ。このくらいの自信がなきゃ打席には立てませんよ」

 当時の球界には“王ボール”という言葉があった。きわどいコースでも王が見逃せば審判はボールと判定するというのだ。

 逆に言えば、それだけ審判は王の選球眼に一目置いていたということだ。ストライクとコールした瞬間、あのどんぐり眼でにらまれ、震え上がった審判もいたという。

 話を清水に戻そう。王が“王ボール”なら、こちらは “清水スタート”である。オリンピックの大舞台で自信を持ってスタートを切った清水にフライングを言い渡す審判はいなかった。
 振り返って、清水は語った。

「この前、審判の方に言われました。“キミの場合、フライングじゃないの? と思うくらいの反応だったけど、笛を吹けなかった”って」

 ソチ冬季五輪は2月7日から始まる。

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2014年1月10日号に掲載されたものです>

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