今季、群馬ダイヤモンドペガサスの野手総合コーチに就任した松永浩美です。今回の就任の話は、糸井丈之会長からいただいたものでした。実は糸井会長とは面識がありました。5、6年前になりますが、糸井会長が、私が埼玉県で行なっている野球塾「松永少年野球教室」(MBA)へ見学に来たのです。その糸井会長と、このようなかたちで再会するとは、人の縁というものは不思議ですね。
 正直、私はこれまで独立リーグにはほとんど興味を持っていませんでした。しかし、子どもたちが野球を続ける環境を整えるという意味では、独立リーグはひとつの大きな受け皿となっています。その手伝いをするということの意味を考え、今回はコーチを引き受けました。もちろん、引き受けたからには、中途半端な気持ちではありません。しっかりと指導していきたいと思っています。

 私は「ああしろ、こうしろ」という押しつけが嫌いです。ですから、特にバッティングについては、最初はいじらずに、各選手の個性をじっくりと見ていきたいと思っています。一方、川尻哲郎監督が目指すのは、「ピッチャーを中心とした守りの野球」。ですから、守備に関してはフォーメーションなど、細かいところも教えていきたいと思っています。

 本来であれば、じっくりと育てていきたいのですが、そうは言っても、選手たちにその余裕はありません。NPBを目指すのであれば、4〜7月の前期での活躍は不可欠です。そこで、いかにプロのスカウトにアピールできるかがカギを握ります。つまり、4カ月しかないわけです。

「キャンプやオープン戦の時期には、仕上がっているくらいでないとダメだぞ。キャンプから身体をつくろうなんて考えていたら、遅いからな」
 昨年12月のドラフト会議で、私はこう新人選手に言いました。果たして彼らがオフにどれほどやってくるのか……。もちろん、やってこなかった選手はそれだけの気持ちだということですから、試合では使いません。そのことも選手たちにははっきりと言っています。

 独立リーグはプロですから、球場に足を運んでくれるお客さんには、入場料を払ってもらい、試合を観てもらうわけです。ですから、それ相応のプレーをお見せしなければいけません。「こんなんでいいだろう」というような甘い考えの選手を出すことはできません。そうしたプロ意識もしっかりと持ってもらいたいと思っています。

 自分を変えるチャンスの場

 私が野球を指導するうえで、重視しているポイントは、「何を一番大事にしているか」という点です。それが野球への姿勢のあらわれだからです。そのことが顕著にわかるのが、実は練習前のアップや、キャッチボール。この時に、どれだけ真剣にやっているかで、その選手の伸びしろを図ることができます。体操をしている時にペチャクチャ話をしたり、キャッチボールをおろそかにやっている選手は絶対に伸びません。そういう選手は、いくら技術があっても、試合中、必ずどこかで凡ミスを犯します。

 それは「野球選手である前に人としての成長」にもつながります。今季、ダイヤモンドペガサスに入団した安田権守(早稲田実業高−早稲田大−東京メッツ)は、私が主宰しているMBAの出身者なのですが、彼が中学3年の時、こんなことがありました。ある中学1年の子が新しく教室に入ってきました。練習後、みんながボールを片づけたりする中、その子はどうしていいのかわからずウロウロするばかりで、結局何もできずに終わってしまったのです。

 その様子を見ていた私は、安田にこう言いました。
「オマエ、技術は上がったけど、人を引っ張っていく能力はないなぁ」
 安田は、新人の子に何も声をかけてあげていなかったのです。

 その後、安田は野球塾を卒業し、高校野球の名門である帝京高校野球部に入部しました。そんなある日、塾生の子が顔を紅潮させて「安田先輩に声をかけてもらった」と嬉しそうに言いに来てくれたことがありました。聞けば、帝京高校の試合を明治神宮球場に観に行ったところ、そばを通った安田が「あれ、MBAの子だよね」と話しかけてくれたのだそうです。その子にとっては、憧れの先輩に声をかけてもらったことが嬉しくてたまらなかったのです。その話を聞いて、「あぁ、あの時の言葉の意味をきちんと理解して成長してくれたんだなぁ」と感じました。3年時にはキャプテンに抜擢されたことも、その証のひとつでしょう。

 独立リーグの選手は若くても20歳前後です。普通であれば、考えを変えることはなかなか難しい年齢でしょう。しかし、野球選手として最後のチャンスである独立リーグは、自分を変えることのできるチャンスの場でもあるはずです。なぜなら、人としての成長こそが、プレーの幅を広げ、野球選手としての成長を促すからです。私は、少しでもそのお手伝いができればと思っています。

松永浩美(まつなが・ひろみ)>:群馬ダイヤモンドペガサスコーチ
1960年9月27日、福岡県出身。1978年、阪急にドラフト外で入団。81年に一軍デビューして以降、主軸として活躍。85年には盗塁王を獲得した。93年、阪神にトレード移籍。その年のオフ、プロ野球界で初めてFA権を行使し、ダイエー(現福岡ソフトバンク)に移籍した。移籍1年目の94年には、打率3割1分4厘の好成績を残す。97年オフ、自由契約となり、現役を引退した。2006年に「松永少年野球教室」(MBA)を設立し、小・中学生を対象に指導している。14年、群馬ダイヤモンドペガサスの野手総合特別コーチに就任した。
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