巨人の前身である「大日本東京野球倶楽部」が1934年に誕生したことを受け、NPBは今季を「プロ野球80周年」と位置付けている。
 大日本東京野球倶楽部のメンバーのひとりで、阪急軍や大阪タイガース・阪神軍でもプレーした日系2世・ジミー堀尾の来歴については、永田陽一著『ベースボールの社会史』(東方出版)に詳しい。
 同書によれば、堀尾がネブラスカ・ステート・リーグのカナリーズでプレーしていた頃、「イエローペリル」と呼ばれていたという。「イエローペリル(黄禍)とは欧米の白人優越主義を脅かすアジアからの漠然とした脅威を意味する」(前掲書)。日本から米国への移民は1900年代初頭、ピークに達する。安い賃金ながら優れた労働力を提供する日系移民に対する風当たりは、当然のごとく冷たかった。

「あるファンがスタンドからジム(ジミー堀尾)に向かって<チンク!>(中国人に対する蔑称)と何度も野次っていたんだ。あまりにもそれがひどいのでジムもついに堪忍袋の緒が切れた。その男に向かって<勝負をつけてやるからグラウンドへ下りてこい!>と激しく応戦したんだ。それで男は下りてこられなかったんだが、ふだん物静かで礼儀正しいジムなので、彼の憤怒ぶりの方にみんなは驚いてしまった」(同前)

 地元紙の堀尾に対する表記は「ジャップ」で、「ジャパニーズ」という言葉は一度も用いられなかったことも同書は紹介している。

 ピッチに投げ込まれたバナナを食べることで、人種差別に理性的に対応したダニエウ・アウベス(バルセロナ)の機知と自若に同調の輪が広がっている。日本人では長友佑都(インテル・ミラノ)がハビエル・サネッティらとバナナをかじる姿がインターネットで配信された。NBAは黒人への人種差別発言をしたクリッパーズのオーナーに永久追放処分を科した。

 黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを顕彰するため、MLBでは彼がデビューした4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と定めている。この日ばかりは全ての選手が彼の背番号「42」を背負ってプレーする。イチローは「歴史の偉人を心に刻み込んでおくことは素晴らしい」と語っている。プロ野球80周年の節目であればこそ、数々の差別や偏見の中で奮闘したジミー堀尾にも思いを馳せたい。

<この原稿は14年5月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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